オノ アキヒコ

面白いと思った本を紹介しています。検索してもレビューがない、どんな本かわからない。しか…

オノ アキヒコ

面白いと思った本を紹介しています。検索してもレビューがない、どんな本かわからない。しかし必要としている人はいるはず。そう感じた本を中心に扱います。

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いい本を届けたい

 いい本があったら、それを届けることがしたい。いい本は埋もれていく。インターネットが発達し、古い情報には確かにアクセスしやすくなった。Amazonのサービスを利用すれば、他の人が購入した本や、おすすめの本を教えてくれる。最近ではTikTokで紹介された筒井康隆の『残像に口紅を』が3万部以上売れたという話もきく。古書との思わぬ出会いがSNSによって生まれる時代である。  しかし、それでもいい本は埋もれていく。いい本だけど選ばれない本というのが、確実に存在するからだ。Amazon

    • 大西巨人「「真人間のかぶる」物ではない帽子・その他」

      私は20代のとき、大西巨人からたくさんのことを学んだ。本当にたくさんのだ。しかし、30代になってそれが血肉となって考え方・生き方として実践できているか、と振り返ると甚だ心許ない。大西巨人について考えることは、自分の生き方を批判的に問うことにもつながっている。 大西巨人は1919年福岡生まれの小説家。代表作の『神聖喜劇』は、1955年から25年間書き継いで完成した、日本戦後文学の傑作である。また彼は小説以外にも多くの散文を書いた。その50年間におよぶ随筆は『大西巨人文選』とし

      • 描写を読み飛ばすのはあなたが悪いわけではない(かもしれない) ジャン・リカルドゥー『言葉と小説』

        ジャン・リカルドゥーの邦訳は現在2冊ほど世に出ている。1969年『言葉と小説』と1974年『小説のテクスト』である。どちらも野村英夫訳で、紀伊國屋書店から現代文芸評論叢書として出版された。『言葉と小説』は著者の考えが詰まった理論編、『小説のテクスト』はその理論の実践編と言えるかもしれない。今回は『言葉と小説』を取り上げる。 ジャン・リカルドゥーは1960年代から言論活動・創作活動に精力的に取り組んだ小説家であり、ヌーヴォー・ロマンと呼ばれるフランスで起こった前衛的・実験的な

        • 資本主義と万博 鹿島茂『パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢』

          たとえば、白いワイシャツを手に取ってみる。とくにこれを買おうと決めてきたわけではない。なんとなくショッピングモールに寄ってみただけだ。そばにある姿見と自分の身体を比べながら、サイズや色の感じを確かめる。ワイシャツの脇腹をひとなでして、肌触りなんかも想像してみる。素材が気になって、表示ラベルを探しながら、そういえば、こないだ買った黒のパンツと合うかもしれない。そんなことを思いながら、もう買う気になっていて、値段もちょうどいい、なんてこともしっかり確認してから買い物かごに商品をい

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          作品が成立するために必要なもの ミハイル・バフチン「美的活動における作者と主人公」

          生きていると、詩を感じることがある。ふとした時に。誰にでもあると思う。現代詩作家の荒川洋治の作品「渡世」には、詩について、こんなことが書かれている。 「詩」と「詩のようなもの」がある。人はこのふたつを取り違える。感じたことは「詩」ではないのだ。しかし、それでは詩はいつ詩になるのか? 20世紀ロシアを代表する哲学者であるミハイル・バフチンに「美的活動における作者と主人公」という草稿がある。これは芸術作品における作者と主人公の関係を美学の観点から論じたもので、バフチンによれば

          作品が成立するために必要なもの ミハイル・バフチン「美的活動における作者と主人公」

          ミハイル・バフチン「小説における時間と時空間の諸形式」

          「サザエさん時空」という言葉がある。物語の季節が変わっても、キャラクターが年を取らない作品を指すときに使われる言葉だ。マスオさんはいつまでも働き盛りだし、イクラちゃんはいつまで経っても「ばぶー」しか言わない。『サザエさん』の世界はそのようにつくられている。現実とは異なる時間が流れている。 私たちはこうした作品の構成について見慣れてしまい、キャラクターが年を取らないことにそれほど違和感を覚えることはない。ただ変なことは確かなので、ときどき思い出したかのように「サザエさん時空」

          ミハイル・バフチン「小説における時間と時空間の諸形式」

          古びない日本語論 三浦つとむ『日本語はどういう言語か』

          三浦つとむ『日本語はどういう言語か』は、1976年に講談社学術文庫として出版された。50年近く前の日本語の本と聞くと、なんだか情報として古いと考える人もいるかもしれない。しかし、この本は、時間が経っても内容に古びたところがない。それどころか、最近の言語学である認知言語学に近い立場で、示唆的な多くのアイデアを提供してくれる。 認知言語学は1960年代後半に生まれた、比較的新しい学問である。認知とは「人間の心の仕組み」という程度の意味であり、言語能力を明らかにするには人間の心の

          古びない日本語論 三浦つとむ『日本語はどういう言語か』

          ことばは変わる、生き残る、いまも 柳父章『翻訳語成立事情』

          日本はことばを他国から輸入してきた歴史がある。最初は中国。そして、明治時代においては西洋から。しかし、輸入と簡単に書いてしまったが、ことばは物のように運んだり置き換えたりできるものではない。 最近では、Googleなどの検索エンジンを使っても、ことばを簡単に翻訳してくれる。左の入力フォームに単語を登録すると、右のフォームに翻訳結果が表示される。一見、ひとつの意味を2つの言語で置換しあっているようにみえる。しかし、それはあくまで翻訳したことばが定着した結果にすぎない。明治時代

          ことばは変わる、生き残る、いまも 柳父章『翻訳語成立事情』

          言語学を学びたい/学び直したい人のために 千野栄一『言語学への開かれた扉』

          言語学というと、学生時代に現代思想や批評理論を勉強すると、フェルディナン・ド・ソシュールの記号論やロマーン・ヤーコブソンの詩学、ジョン・ロジャース・サールの言語行為論などの言語学にふれる機会はあるものの、それ以外についてはあまり知らないという人も多いのではないだろうか? もちろん、言語学を深く学ぶことが目的だったひとや、あるいは大学生以後もアカデミックな進路を選んだひとであれば、それ以外・それ以上の内容について学ぶ機会もあったと考えられるが、そうではなく人文学と無縁のサラリー

          言語学を学びたい/学び直したい人のために 千野栄一『言語学への開かれた扉』

          自分の「感動」を言語化する 前野隆司『感動のメカニズム 心を動かすWork&Lifeのつくり方』

          世の中は「感動」であふれている。昔はテレビのなかだけの話だったかもしれない。しかし、いまでは良いものをつくっても売れない、これから体験を売るんだ、とビジネスパーソン中心にこれまでを反省し、「モノ売りからコト売りへ」を合言葉に「感動」を送り届けようとしている。「感動」というものの価値がますます高まり、求められる時代になってきている。 それは同時に「感動」に対する感度の高さが求められる時代ともいえるが、しかし、「感動」とはなかなか厄介なものである。なぜなら、「感動」はエモーショ

          自分の「感動」を言語化する 前野隆司『感動のメカニズム 心を動かすWork&Lifeのつくり方』

          インターネット以前の路上音楽が、そこに 野村誠『路上日記』

          YouTubeには路上パフォーマンスを撮影した動画が数多くある。路上演奏で何人集められるかやってみたとか、正体を隠して演奏を始めるとめちゃくちゃ上手く、じつはプロが演奏してましたといったドッキリなど、いろいろだ。しかし、彼等彼女らよりずっと前、1995年から99年頃まで、生活費を稼ぐために路上で演奏する日々を過ごしたひとがいたことをご存じだろうか? しかも、演奏は鍵盤ハーモニカで、「サザエさん」やピンクレディーの「UFO」がメインだった。演奏していた彼、野村誠の『路上日記』は

          インターネット以前の路上音楽が、そこに 野村誠『路上日記』

          日常がもつ「深さ」について『石原吉郎詩文集』

          『石原吉郎詩文集』は、彼の詩から、『望郷と海』に収録の重要なエッセイなどがまとめられており、石原吉郎はどんな詩や文章を書いたひとなのか知ることができる。本書には「1956年から1958年までのノートから」という日記のような体裁の、短文をまとめた文章も収録されている。なにかを論じたものではない。その日思ったこと、考えたことが書かれているだけである。しかし、短い文章であるが、とても内容豊かであり、石原吉郎の思想が表れている。 たとえば、私は次の文章がずっと心に残っている。 「

          日常がもつ「深さ」について『石原吉郎詩文集』

          詩人・石原吉郎を知るために 畑谷史代『シベリア抑留とは何だったのか』

          石原吉郎という詩人がいた。彼は敗戦後、スターリンの政策によってシベリアで強制労働をさせられた。これは「シベリア抑留」と呼ばれている。敗戦時、多くの日本人が満州に取り残され、捕虜となった。そして、捕虜となった人々はシベリアの各地域に輸送され、極寒のなかで食べ物もほとんどないまま働かされた。シベリア抑留で亡くなったひとは4万人以上と記録されている。彼は生き残ることができたが、その期間は8年間にも及ぶ。彼が30歳の時に敗戦したので、38歳まで過酷な環境を生きたことになる。 畑谷史代

          詩人・石原吉郎を知るために 畑谷史代『シベリア抑留とは何だったのか』

          「主語」も「文」もなかった 柳父章『近代日本語の思想』

          日本語には「主語」がなかった。柳父章『近代日本語の思想』はそう語る。いや、「主語」どころか、「文末語」も、「文」という考え方さえも、日本語には存在せず、これらは明治時代の翻訳を通してつくられたものだったという。本書は平易な文章で、その過程を明らかにする。 著者はまず大日本帝国憲法を引用する。 このあとも「~ハ……」という構文が続く。この構文は、近代までにはなかった文体であった。しかし、この文体は、やがて明治時代を経て、一般的なことばになっていく。 それでは、大日本帝国憲法

          「主語」も「文」もなかった 柳父章『近代日本語の思想』

          小説を言語学で考えてみる 野口武彦『小説の日本語』

          小説をもっと考えられるようになりたい。でもその手掛かりがない。読んでも読んでも、なんだか言葉の表面をなぞっているだけで、最後に面白かった、なんて感想しか浮かばない。 もちろん、それでもいいという人もいる。しかし、一方でその面白さを分析したい、という人もいる。なぜ面白いと感じたのか、なにが面白い部分なのか、自分の言葉で考えてみたい。 野口武彦『小説の日本語』はそうした悩みにたいして、ひとつのヒントをくれる本である。本書の提案は小説を言語学の切り口で読んでいこうというもの。著者は

          小説を言語学で考えてみる 野口武彦『小説の日本語』

          消えてしまったことばの世界を覗く 山口仲美『日本語の歴史』

           山口仲美『日本語の歴史』は、タイトルの通り、奈良時代から明治時代、そして現代までの日本語がどのような変化をしつづけてきたのか、その歴史を紹介する本だ。  ことばの変化、と聞いて思い浮かぶのは「死語」ではないだろうか。ちょっと前まで使っていたことばで、もう使われなくなったことば。たとえば、昔、ほんの冗談で「Aさんは、お花を摘みに行ったよ」と言ったら、職場の後輩にきょとんとされたことがある。その顔を見て、これが死語か、と思った。しかし、ここでいう死語は、あくまで単語のレベルに

          消えてしまったことばの世界を覗く 山口仲美『日本語の歴史』