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個性とは何か 自分らしく生きるとはどいういこと?

個性とは何か 自分らしく生きるとはどいういことか
といったことを真剣に考える時があるでしょう。

昔 読んだ書籍にこんなことがあります。
「個性的」になろうと思って 流行の格好をしてみる。
ところが その結果 個性的どころか 反対に「みんな同じ」に近づいてしまう。
それではつまらない。
意地悪く見れば「個性的」というひとつの「型」があって それに合わせているようにさえ見えます。

しかも その「型」はじつは多くの場合 マスコミや商売の人たちが「つくった」ものだったり わざと「はやらせた」ものだったりすることも非常に多いものです。
だから 本当は「個性に生きる」というのは 結構 大変なのです。
個性的に生きるためには 自分というものを しっかりもっていないといけない。

「自分の目」を開いて ものごとを見 「自分の耳」を澄まして人の話を聞き 「自分の頭」をフル回転させて考え 「自分の信念」を貫く勇気が必要です。それよりはむしろ 「みんなと同じ」という「型」に入っていたほうが「楽」なのです。

だからいろいろな束縛から自由になろうとするときでさえ 何か人の決めた「型」に入ろうとします。
日本人は「右向け右」の「ファッショ(全体主義)」になりやすいのです。本当の個性は「見た目の個性」なんがではないです。
内から外へと にじみ出てくる「中身の個性」です。

こんな言葉があります。
「個性とは この世界で その人しかもっていない宝の一品である」
その「宝」が何かは 中々わからないかもしれない。
しかし必ず 自分だけの「宝」をもっています。
もっていない人は ただの一人もいない。
絶対にいない!

いるとしたら「自分なんか ダメなんだ」と 自分で決めつけてしまった人だけです。
その決めつけが 自分で自分の「宝」を壊してしまうのです。
もちろん「自分らしさ」といっても それが何なのかわからない
そういう人も多いでしょう。

わからなくて当然です。

むしろ「これが自分らしさだ」「これが自分の個性だ」と思っているものが 人の借りものにすぎない場合も多い。
ですので「今の自分」が自分のすべてだと思ったら 大きな間違いを犯してしまう。

「人間は変わる」ものだからです。

「今の自分」はもっとすばらしい「未来の自分」への出発点でしかない。
たとえば「私は口べただから 人前に出ないようにしよう」こういうのは「自分らしい生き方」ではない。
口べただけれども いじめている人を見たときには 堂々と注意していける自分になっていこう。
いざというときには 勇気を出して「正しいことは正しい」と言える自分になろう
こう一生懸命に努力していくなかに  はじめから口達者な人  とは違った あなたならではの持ち味が光ってくる。

これが「自分らしさ」です。

自分を鍛えないと できない。
「鍛え」のなかからしか「個性」は輝かない。
ちょうど「剣」を炎の中で鍛えているみたいに。

「個性」というのは人生を切り開いていくための「自分だけの武器」なのです。
「宝剣」なのです。

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