ジョン・ニコルズ 『卵を産めない郭公』

★★★★★

 村上柴田翻訳堂シリーズによる復刊作品。原作は1965年、翻訳版は1970年に『くちづけ』という題名で出版されたそうです。

 純度100%の青春小説です。第1章からフルスロットルで引きこまれてしまい、あっという間に読んでしまいました。序盤の引きの強さからすると、尻すぼみ感がなきにしもあらずですが、それは期待値が上がりすぎたせいでしょう(勝手に期待した僕の問題です)。

 とにかく、ヒロインのプーキーがたまらなく魅力的ですね。登場した瞬間から炸裂するマシンガン・トークにバシバシやられちゃいます。逆に、プーキーに惹きつけられないと、期待値も上がらないかもしれません。

 内容は特別語るほどでもないです。青春が瑞々しく描かれている、ただそれだけです。でも、それだけでいいじゃないですか。
 たいしたことでもないし、むしろろくでもない経験だったりしても、それが美しくなるのが青春マジックです。馬鹿騒ぎも恋も失敗も、そのすべてが色鮮やかに輝いて見えるのです。
 途中で若干停滞するきらいはありますが、その停滞感も含めて青春でしょう。

 過ぎ去った輝かしい青春の味を噛みしめるもよし。そんな青春がなかった人は記憶を捏造するもよし。
(しかし、青春、青春、言い過ぎですね)

 巻末の解説セッションでは、時代性が強調されていましたが、僕はほとんど気になりませんでしたね。
「今日の十代、二十代がこの本をどう読むのか、ちょっと見当もつかないです」と柴田元幸は言っておりました。インターネットやスマートフォン、SNSがあたりまえの世代だと、受け取り方が変わるのでしょうか? そんなことはないような気がするんですよね、僕は。
 というのも、小説って作品によって時代背景が違うのが当たり前ですから、小説読みは作品をまるっと受け入れると思うんです。2017年に出版された小説だって、2017年前後を背景にしてるとは限りませんよね? なので、60年代初頭の時代背景や価値観が現代とかなり違っていても、そういうものとして飲み込むのにさほど抵抗感はないんじゃないでしょうか。どうでしょう。そうでもないのかな?

 ちなみに、こういうちょっと変わった娘というのは美術系・音楽系の大学にはごろごろいます(経験談として)。小説内のキャラクターとしては魅力的ですが、現実になると、そう手放しでは賞賛できないところがあります。ジェリーくん、きみの気持ちはよくわかるよ……。

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