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穏やかなプール(ホラー)

 私の通っていた中学校にも、お決まりの七不思議があった。夜中に鳴り響くピアノ、トイレの花子さん…。ただ七つ目の不思議は、なぜか校内の話ではなく学校へと続く坂道の話だった。

「逢魔が刻に、坂道で振り返ると闇に飲み込まれる」

 正に逢魔が刻の坂道だなと思いながら私は学校からの坂道を下っていた。訳あって32年ぶりに訪れた学校は、意外と昔のまま変わらない姿なので気持ちが当時に戻ってしまいそうだ。

「指、忘れてますよ。」

 不意に女の子の声が聞こえ、私は思わず振り返った。声の主らしき女の子は紙袋を顔の前に掲げながら、もう一度「指。」と言った。
 反射的に自分の手を見てみたものの十指揃っているし、そもそも指なんて忘れるようなものではない。無視して歩き出そうとすると彼女は紙袋を下げ顔を見せて言った。

 「忘れさせないよ。」

 32年前の夏。
 その日は、厚い雲の垂れ込めた肌寒い日だった。体育の授業が水泳になるかドッジボールになるか微妙な気温。いっそ雨でも降ってくれればとの願いもむなしく授業は水泳に決まった。
 「寒いしダルいしチョー無理。」「まじで寒いわー。」皆が文句タラタラで水着に着替える中、一人だけ着替え始めない女の子がいた。
 女の子は体が弱く無理ができないので気温が低い日の水泳は見学するようにと主治医に言われていたらしい。彼女の体質は周知の事実だったが、クラスの不満は彼女に集まった。
「本当に入れないの?入りたくないだけでしょ?」
 「そもそも体、弱いの?」
級友に脅され、なじられた彼女は、いつも以上に青白い顔で授業を見学した。
 その放課後、私と数人の仲間は彼女の鞄をプールに投げ込んだ。受験も間近に迫った緊張感やストレスのせいにした悪ふざけは容易に度を越えた酷い仕打ちに発展した。
 気温は昼間より下がっている。泣き出すか逃げるか意地悪く見ていると、彼女は制服のままプールに入っていった。
「最初から入ればよかったんだよ」
「本当はなんでもないんじゃない?」
震えながら鞄を拾いに行く彼女を私たちは囃し立てた。
 鞄が落ちたであろう辺りまで来たとき、彼女は沈んだ。最初は鞄を拾うために潜ったのかと皆が思った。
 だが潜ったあとの不自然な彼女の手の動き、空をつかむように右腕だけ水上に伸ばされ、だが伸ばされた腕は、ゆっくりと沈んでいき、寸の間、指だけ残っていたものの、軽く空を掻くと、全て沈み、穏やかなプールに戻った。
 私たちは何もしていないし何も見なかったのだと約束しあい沈黙した。彼女の死因は事故ということに決まった。
 
 32年ぶりに学校へ来た理由は、教室を借りてのクラス会と彼女の33回忌を兼ねた集まりだった。沈んでいく手を、最後に空を掻いた指を忘れた日はない。

 「返してもらうね、あなたの目に焼き付いた私の指。」

 私の目は、いくつかの目と共に紙袋に収まった。(1181文字)
  
 

 素敵な企画のお仲間にいれていただきたく、エントリーさせてください。お祭りトゥギャザー。


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