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42のレビューを見つめなおす

この記事の目標 私の求めるピアラーニングを提示すること

https://42tokyo.jp

私たちの学校ではピアラーニングで学習しています。詳細は省く。ほぼ42生に向けての記事。気になる方はご連絡ください

所感
ピアラーニングは機能していない

"ピアラーニングは機能していない" こう述べるとピアラーニング原始論というか、真実論に向かうことになる。そう、そういう方向性で行く。

書きながら考えている。だから変わっていくかもしれないが、今のところピアラーニングとして期待するイメージを共有する

公園で子どもたちがボール遊びしてる感じ
世界遺産のスポットに行って、ガイドさんを中心にツアー予約した知らない人と話してる感じ
仲のいい美術に詳しい友達と、美術館行ってる感じ
(チャレンジに寛容なタイプの)お母さんとご飯作ってる感じ
小学校の図工の授業
オープン

草原

こういったイメージ。一方で、今のピアラーニングのイメージは

中学校の部活(私が吹部だった影響大きいかも)
ビル

先生
軽蔑

部屋

こんな感じ(現状の方はあまりイメージ膨らまなかったのであしからず)。
人によってそれぞれの対象に対する印象は異なるであろうので、文章でもう少し。

期待しているのは
オープンなコミュニケーション。あなたとわたしとみんなが楽しむ世界。
嫌なのは
価値観の押し付け。

こうまとめると、私は私で押し付けようとしているわけだ。そうなると、私の望んでいる者は私の望んでいないものと同じことになる。背理法で、前提が多分間違っている。訂正する

期待しているのは
心理的安全性があって、価値観が提示し合える関係性
嫌なのは
価値観の押し付け。

これでも、押しつけをクリアはしていない

好き 安心
嫌 軽蔑 はれもの

中々言葉に出来ない。人には嫌な感情が生まれるときもある。イラっとするとか、ちゃんとレビュー集中してるのか?とか、準備足りなくないか?とか、"凄い"っていうだけでなんもしないじゃん。とか。褒められに来てるわけじゃない。とか。興味持ってくれてありがとうとか。なんでそういう書き方したのか気になるとか。そう質問されると否定された気分になるとか。そういうつもりはなかったんだけど、なんでそう思ったの とか。

今思い描くイメージが、あまりにも自分には無かったことを想像している。読んでいる方の中にも、そもそもイメージを共有できなかったり、したとしても理想論過ぎてお腹いっぱいになったり、あるいは、既にそういう学校になっていると思っている人もいるかもしれない


私は 愛するということ という本が好きだ
その中に、全員を愛せないということは、誰も愛せないことと同じだ。
一人を愛するというのは、万人を愛するということと同じだ って感じの文章があった。

例えば、愛する人が誰かの悪口を言っていたとする。悪口の内容にもよるんだけど、"悪口の対象が持つような特徴を私が持っていたとしたら私は愛する人から嫌われてしまうのか?" という疑念が生まれないか?私は生まれる。外見とか、当人がどうしようもない部分で差別的に称賛したり否定したりするのは、会話を共有する仲間全員にとっての不安感情に繋がる。だから私はさっきの文章が的を得ていると感じる。


勝手なこと言うけど、私の生きてきた世界に、これに該当する愛ってあんまりない。めっちゃレア。

でも教え合って学習するってこれを達成するってことなんじゃないか。

私は他責でわがままで現実を見ずに理想を適当に語る。語りもしなかったりする。ふわふわっとイメージして、多分そのイメージはどんな世界でも適合しないくらい、理想的で、そもそもイメージしてるのかさえ分からなくて。

今回の記事は提示することが目標だったから、あなたに伝えるために本当はもっと言語化して、誤解のない様に、理解しやすいようにするつもりだったけど、出来なかった。

もう少し時間を描けて考える。

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