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エセなりに

昨晩ゲリラ豪雨のようなのが来て、朝ベランダに出たら子宝草の赤ちゃんがたくさん落ちていた。散らばっていたり、排水口の近くにたくさん溜まっていたりした。丁寧にひとつずつ拾って、水につける。

昨年も子宝の赤ちゃんをたくさん拾って、水につけて、根が出てきたら土に植えて、という作業をしたが冬の寒さに負けてほぼ全滅してしまった。それでもまた拾ってしまう。

水につけるどうでも良い瓶をこの前ほとんど捨ててしまったので、気に入っている天平庵のプリンの瓶に入れた。まちゃんも手伝ってくれた。私はボロボロボロっと、まちゃんはひとつずつ丁寧に、話しかけながら。

「落としちゃってごめんね。大丈夫?だいじょうぶー」

だいじょうぶーのところは高い声で言う。子宝の気持ちらしい。


大雨から拾った子たち
天平庵のプリンの瓶
どんどん根をはっていく
土に植えて、こんなふうに大きくなる
育て方の正解は、知らない

そんなまちゃんは朝行きの車の中で退屈だったらしく、ペンで足に落書きをして、それが落ちないことに発狂して道にしゃがみ込み、私の服をひっぱり、
「行かない!幼稚園、行かない!」と泣き叫びながら登園した。
玄関ホールで先生が「可愛いよ、大丈夫だよ。」と優しくしているのを見て、
「てめえが書いたんだろ!」と言った自分をちょっと反省した。
どうも思ってないと思っていても、カリカリモードになってしまっていたんだな、私。
家にいると、誰とも接しないと、気づかない。子育てってむずかしい。


この前夢を見た。大きいお兄ちゃんがいるお母さんと話しをしていて、大きいお兄ちゃんなのでおそらくバイトやらなんやらで忙しい。

「寂しくないですか?」

と聞くと、
「想い出があるからさ。遊んだ。だから大丈夫。」
それにハッとして、目が覚めた。四時半。

私、子供たちと全然遊べてないし、怒ってばかりいる。これじゃ後悔する。

もはや遊び方さえわからない・・・と思いながらも、それからはご飯を作りながらしりとりしたり、お風呂上がりに一緒にストレッチしたり、歌を歌ったり、そんなことから始めている。(7歳と4歳・・・気づくの遅)

その夢から覚めた時、「ななこさんとオンラインセッションだ!」ということも思い出した。

なんだろう、夢が色々教えてくれる。案の定スケジュールには入れ忘れていて、ななこさんとのやりとりを確認したらやっぱりその日だった。脳味噌good job。


子供が同じ年で、ななこさんと話していたら私が直面している問題と全く同じようなことを話されていてびっくりした。小2のキーワードは「クソガキ」「嘘つき」かもしれない。

ただ、ピンチはチャンスじゃないけれど、やっぱり人間関係を構築するのに新しいフェーズに入っているのかな、とも思う。(フェーズってカッコよく言ってみたけれど、どういう意味?)


私自身、友達と遊んだりしたことをはっきり覚えている記憶は小2くらいだからだ。

あの頃の私は、自分で言うのもなんだけれど、強気だった。男子とも殴り合い、女子の友達は友達といえども顎で使っていた。中休み、砂場遊びしても片付けは友達にやらせて先に教室に帰っていた。最低。

あの頃、自信に満ち溢れていたのかもしれない。

同級生で今も仲良くしている友達は
「小2の頃、あきえちゃんがトイレであぶらとり紙を使っていた。朝ごはんはシリアルを食べてると言っていて、とってもおしゃれだと思った。」
と言っていた。おませなクソガキだったことは確定である。


あきわさんに「メタ認知」という言葉を教えてもらった。けんちゃんは空手やっているからメタ認知がよく育つよ、と。

メタ認知|自分の認知活動を客観的に捉える、つまり、自らの認知を認知すること


全然意味わからない。
けれど、それから「めためたメタ認知」と言う謎の言葉が頭の中をぐるぐるとまわり、私の脳内では今流行語になりつつある。

「ケセラセラ」の歌詞に

「私を愛せるのは私だけ。生まれ変わるならまた私だね」

というところがあって、私には衝撃的な言葉で、色々考えた。
虐待されたり、病気になったりとかそういう不遇な境遇な人もたくさんいる中で
「生まれ変わるならまた私だね♪」って言えるってどんな人なんだろう。

私は・・・?

今、私
まあまあ可愛くて(近所のおじ様が可愛いって言ってくれた)
裕福ではないけれど働かないで好きなことをしていて
可愛い子供たちがいて
家に屋根があって、車とバイクと自転車もあって
困った時は可愛い友人たちが助けてくれて
今のところ健康で


まあまあ良い人生じゃない・・・?と。そこでまた
「めためたメタ認知♪」が出てくる。

嫌な部分で言ったら、大体中学生くらいかな。
あの頃は可愛いと褒められもしなくて、むしろ隣にいた友人だけがチヤホヤされて
人間関係も複雑かつ残酷で、自分が嫌だった。

でもそれって、他の人に褒められない・・・環境ももちろんあるけれど、一番自分を可愛がってあげられなかったのって自分自身なんじゃないのか?

あの時、自分が自分を褒めてあげて、可愛がってあげられていたら、私はもっと「楽しい」「幸せ」と思えたのではないか。

自分が可愛くなかった、他の人に褒められなかった、という事実なんて実はどうでもよくって、その事実が原因だったとしても、その原因から自分を可愛がれなかった「自分」に責任があるのでは?


そう思うと、今の自分は結構自分を可愛がって甘やかしているな、という過去と現在のメタ認知ができたような気がした。
だって、普通に考えて今おばさ・・・老け始めたレディーだし、笑、あの頃の方が可愛かったと思う。



最近お友達ができた。アーユルヴェーダが好きなお友達で、教えてもらって欲しいなと思うのがちょうどスーパーにあったので買ってみた。ギーとターメリック。

お友達に教えてもらい、春菊とベーコンとギーと塩で炒めてみた。美味しい。けんちゃんがたくさん食べた。

エセなりに活動している。


最寄りのジョージズが閉店するらしい。
昔、旦那さんとよく暇つぶししていたところだから想い出深くて、ちょっと寂しい。
あの頃はお金なくて、ジョージズはちょっと高くて、大したもの買えなくて、でも楽しかった。と思いながら1万円くらい使ってしまった。閉店前にもう一度行きたい。まちゃんお迎えに行ったら行こうかな。



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