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【トンネルに雨は降らない】第1回_ブンブンの家電販売

トンネルに雨は降らない
秋帽子(著)

第1部 風信子石の手紙
第1章 朝日
1 最後の一人

1-1 ブンブンの家電販売

 彼は手紙を読み終え、丁寧に折りたたんだ。真っ赤なビロードの生地に、溶かした銀で文面を記し、縁取りに褐色や青の小さな宝石を配したものだ。
 宝石は、金剛石(ダイアモンド)にそっくりの輝きを放っている。屈折率も光の分散の強さも、宝石の王によく似ているが、同じくらい希少で、もっと、ずっと古いものだ。南方の大陸で発見された、現存する最古の鉱物である。
 二十億年の、そのまた二十億年以上昔、高速で旋回する星々の衝突から、この惑星が生まれた。その時、巨大なエネルギーの放出によりドロドロに溶けた地表から、原始の大陸地殻が誕生したのだ。
 若き太陽系には、まだ沢山の小天体が存在していた。岩・氷・ガスの塊がひしめき合う黄道面では、巨大な外惑星が、共鳴しながら軌道を揺れ動き、天の音階は黄金律に向かって荒々しく調律された。
 軌道から吹き飛ばされた無数の微惑星が、巨大な隕石となって、生まれたばかりの地球と月に次々と降り注いだ。海が蒸発し、大気は灼熱の嵐に震えた。熱せられたマントルは液体のように対流し、上昇するマグマが地殻の裂け目に染み入って、莫大な熱エネルギーを放出した。その過程で、マグマの主成分から一部の元素が分離し、結晶を成長させ、最初の鉱物となった。驚異の天体重爆撃期に、風信子石(ジルコン)は形成されたのだ。
 つまり、この宝石は、鍛冶神が自ら隕石のハンマーで大地に原始のルーンを刻み付けた時代、歴史の存在しない「冥王代」の証人なのである。一族は、大地そのものから歴史を教わり、そのことを誇りにしてきた。古龍の息吹で刻まれた古代のルーンよりも貴重な、第一級の資料を蔵し、その価値を理解しているという証拠であり、父祖が厳めしい祖先から引き継いだ、貴重な文化遺産だ。彼は、細工に傷を付けぬよう注意を払って封筒に戻し、丁寧にリボンをかけて懐に納めた。
 一族がこのような華々しい文書を記すことは、もうない。
 槌を振るって坑道を掘り進み、壮麗な都市を築いた種族は、活動を止め、夢の中にいる。数千年にわたり点され続けてきた灯は、一つ、二つと消えてゆき、やがて暗闇に飲み込まれた。勢い良く吹き鳴らされた角笛の音が、遠い峰々に反射して幾度か響き渡った後、急速に小さくなり、すぐに微かな囁きとなって消えていくように。
 彼が、最後の一人だ。

 ブンブンクァツモク・ミカワザルバ・マテリアは、〈細い川(シリン・バー)〉一族の鍛冶通訳だ。気短な隣人たちは、単に「ブンブン」と呼ぶ。面倒なときには、彼自身もそれで通していた。ブンブンという、蜜蜂の羽音に似た響きが気に入っていたからだ。
 彼の種族は、金属の鍛造と組み立てを得意とし、また異種族の言語を自在に操る能力をもつ。「ブンブンクァツモク」という名前も、異種族と話す際に用いるための、外向きの呼び名である。彼らが仲間内で用いている種族や家系の真の呼称は、他人の目につく場所に記されることはなく、種族の異なる「他の人類」が教えてもらうことはできない。それらの名前は、秘密なのだ。とはいえ、同族にとっても、「鍛冶通訳」という職業は、特に馴染みのあるものではない。ブンブンクァツモクが自分で考え、こしらえた、新種の職業だからだ。
 彼は、一族の約八割に当たる7,000人ほどが暮らす、北方の「ガラスの国」で生まれた。母は有能なルーン鍛冶で、印刷用の高速輪転機を開発した。父は族長の伝令官(ヘラルド)だった。マテリア家の長老は、近隣氏族のあらゆる家系の歴史に通じている。ブンブンの父は、数百種類に及ぶ複雑な紋章を識別して、その由来と変遷を論ずることができた。古く高貴な家系の紋章には、奇妙奇天烈な意匠を含むものがある。たとえば、プレッツェル菓子のような8の字に結ばれた尻尾を掲げて、得意げにこちらを見ている白いライオンの半身像、だとか。
 父は、茶目っ気たっぷりにその成り立ちを説明して、子どもや友人たちの頬を緩ませるのが常だった。獅子の尾については、こんな調子だ。
「この家の創始者は、少年王ユーフ7世の宮廷侍従として身を立て、鎧や剣帯の代わりにボウタイやガーターベルトを結んで成り上がった。『命令は船乗りのように縛り、契約は侍従のように結べ』というのが、彼らお気に入りの警句だった。その流儀で、紋章獣の尻尾も、殿様手ずから結んでやったのだ。見ろ!獅子の満足そうな表情を。王族も、この手で見事に懐柔したのだな。」
 少年時代のブンブンは、母の工房で鍛冶機械の言葉を学んだ。機械の言語は、彼らの話す言葉に似ていたが、もっと省略が多く、簡潔で、そのうえ高い論理性を備えていた。そのため、機械が話すと、その言葉は美しく音楽的に響いた。黄金律だ。輪転機は歌いながら回転し、ツルツルに磨き上げられた銅板に、光輝く強力なルーンを次々と刻み付けていった。

 物事が優しく保護され、穏やかに進展していくことを示す、
樺(かば)の木のルーン、ベオーク。
 様々な技術を生み出す再生エネルギー。成功と名誉を象徴する
太陽のルーン、シゲル。
 防御のために掲げられた魔法の剣。友愛の大切さを示す、
大鹿のルーン、エオロー。
 謎掛け好きの高速列車が待つ始発駅。移動や旅を象徴する、
車輪のルーン、ラド。
 欠けては満ちる月。サイコロを投げ入れるカップを表す、
機会のルーン、ペオース。
 …。

 刻まれた文字は、いたずらっぽくブンブンに囁きかけた。彼がルーンを〈詩人の言葉〉で読み上げてやると、嬉しそうにキラキラと瞬いたものだ。高速輪転機は、まさしく、鍛冶魔法の精髄というべき傑作であった。
 工房の喧騒が今は懐かしい。ブンブンは、先祖が築いた安全な街を離れ、旅に出ていた。希望を見つけるための、捜索の旅だ。

 ブンブンクァツモクは、舗装された大通りにいた。アーチ形をした天井は、三階建ての建物ほどの高さにある。ところどころに設けられた明かり取りの窓からは、午後の力強い日差しが差し込んでいた(この様子だと、地上は炎暑だろう)。トンネルの石組みはしっかりした造りだ。地震や大雨をものともせず、あと百年は軽々と、快適な環境を提供し続けてくれるはずだ。とはいえ、かつて街路を賑わせていた住人たちは去り、街灯は埃をかぶっている。縁石に腰掛けて手紙を読んでいたこの1時間ほど、生き物の動く姿は見かけていなかった。
 そろそろ、水筒が空になりそうだ。古都の北側にある避暑地の丘で蜂蜜を入手してから、3日以上経過していた。ブンブンは立ち上がり、荷物を担いだ。これだけの街並みが、完全に廃墟になっているはずはない。どこかに、現在の居住者である「他の人類」がいるはずだ。耳をそばだててみたが、ひんやりとした空気が静かに流れていくだけだった。
 歩き出そうとしたところで、ふと、風の中に、微かな臭いが漂ってきた。果実のような甘い香りだ。ブンブンは敷石を踏みしめ、鼻歌交じりに歩き始めた。
「赤い川、白い壁、我らが鉱山(やま)よ♪トンネル這い出りゃデセルの香り…」

 キッチンでパイ生地の上に梨を並べているとき、グーリャは重々しい足音が街路を近づいて来るのに気付いた。カウンターに出て耳を澄ますと、ワンワンと蜜蜂がうなるような響きも聞こえてくる。言葉は聞き取れないが、機嫌よく何か歌っているらしい。
「外国の歌かしら?」
 グーリャはエプロンの端で手を拭き、店の戸を開けて通りを覗いてみた。ゆらゆら動く丸い二つの耳と、突き出した鼻先が見えた。真っ黒いつぶらな瞳が、キラキラと輝いている。首には長い黄色のリボンが巻かれていた。
「あら、クマさんね!」

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30周年で六角形に!?深まる秘密が謎を呼びます。秋帽子です。A hexagon for the 30th anniversary! A deepening secret calls for a mystery. Thank you for your kindness.