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[秋帽子文庫]蔵書より_名著復活2020

し、しば!しばれます…。季節は「寒露」、こうがんきたる。この間まで暑いあついと言っていたのに、このあいだ名月を見たばかりなのに、この変わりぶりはなんでしょうか。久しぶりに、仕事場でホットの紅茶を淹れました。ティーバッグですが。いやー、スターク家の銘文ではないけれど、いよいよ「冬がやってくる」という感じですね。
それでも前に進むのだ。『大人のための社会科 未来を語るために』はいずれ、「蔵書より」でご紹介します。神保町での読書会たのしゅうございました。秋帽子です。

さて、今回は、「東京創元社復刊フェア 2020」より、アン・マキャフリー『歌う船』と、セイヤーズ『誰の死体?』をご紹介しましょう。
この2冊は、私が個人的にぜひ復刊していただきたかった作品たちです。
ある年は、創元推理文庫のツイッター投票に参加してみたり、またある年は、神楽坂の創元社倉庫で行われる「ホンまつり」のアンケートに書いてみたり(2020年6月の「初夏のホンまつり」は、残念ながら中止となったようです…)。
もちろん、いずれも人気の高い作品ばかりですから、私が投票したから復刊されたというわけではありません。しかし、皆さまご存知の通り、ビジネス上、「お客様の声」というものには、馬鹿にできない影響力があるものです。こうして、お目当ての作品が実際に刷られたことを確認すると、あのとき手を挙げてよかったな、と素直に感じますね。

『歌う船』は、1960年代に書かれたSF作品です。
アポロ11号が打ち上げられたのが1969年のことですから、ちょうど宇宙時代の熱気が世界を覆っていた頃の作品ですね。日本でもSF作家にアポロ特需があり、宇宙開発をテーマにした数多の傑作が世に出た時代ですが、本作も、流線型をした銀色のロケットが自在に宇宙を駆けまわる、輝かしい未来世界を描いています。
しかし、本作が印象的なのは、そのロケットの造形です。偵察船XH-834号と呼ばれ、様々な緊急任務のために惑星間を忙しく飛び回るその船は、ヘルヴァという一人の女性の「身体」なのです(船名の「H」は、ヘルヴァの頭文字)。
ヘルヴァは、先天的な障害により、機械の補助なしには生存できない姿で生まれた「殻人」(シェル・ピープル)です。殻人たちは、外科手術により、外部と神経接続できるカプセルの中に納められ、宇宙船や鉱山、都市管理機構を制御する「頭脳」として、手術や船体建造にかかった公費を返済しながら、事実上不死とされる長い人生を送ることになります。
高度な教育と、「殻心理学」に基づく精神操作のおかげで、ヘルヴァは、楽観主義と実際的思考を両立させ、勤勉で、健全な批判精神と感受性に富み、芸術的な特技を有する「歌う船」に成長したのです。
…いやはや、ちょっと考えただけでも、様々な法的・倫理的問題を引き起こしそうな仕組みですね。作中でも、複数の強力な人権保護団体の存在が描写されています。しばらく再版が途絶えていた理由は、このあたりにもあるのでしょうか?

作品の中では、ロケットの外見に関する描写は、ほとんどありません。おそらく、ヘルヴァは自分の船体が外からどう見えるか、ほとんど意識したことがない(そう「条件付け」されている)のでしょう。
ロン・ミラー『宇宙画の150年史』を見ると、アポロの映像がお茶の間に登場した1960年代後半には、かなり具体的な宇宙船のイメージが共有されていたことがわかります。
映画「2001年宇宙の旅」が1968年ですから、ドーナツ型の宇宙ステーションや、そこから発着するスペースシャトルのような往還機の図像、人口重力発生装置といったアイディアが、広く社会に知られていたことになります。
もっとも、50年代のソ連のポスターを見ると、ヴォストークロケットの実際の形状は軍事機密だったらしく、架空の「公式」図像が用いられていたりするので、本当の意味で「リアル」なロケットのイメージが、一般読者にどこまで伝わっていたのかはわかりませんが。
本書のカバーイラストには、古典的な美しい宇宙船が描かれています(画:浅田隆)。もっとも、ちょっとV-2号ロケットに似すぎている気もします。もう少しゆったりとした、長距離を飛んで、貨物も運べそうな、ツェッペリン飛行船的なデザインにしてあげたらどうかしら、と思いました(すみません、個人の感想です)。

シーンの多くは船内の一室、ヘルヴァの生身の身体が収められているチタン製の金属柱がある区画での、乗員・乗客とヘルヴァのやり取りを描いています。
最初のパートナーに選んだイケメンとの恋愛、臨時任務で乗船した女性との心の交流、異星人の依頼でシェイクスピアを演ずることになった俳優たちの心理戦、殻人を狙う犯罪者による誘拐事件…。
やがてヘルヴァに、諸々の負債を完済して「自由」になる時期が近づきます。そのとき、彼女は、ずっと自分を支えてきた、ある人物との関係につき、自分で運命を切り拓く行動に撃って出ます。
その決意をさせたのは、相手が自分に抱いていたことを告白した、生臭い欲望でした。

---以下、引用---
彼はヘルヴァを美しいと言った。いったいいつ、彼女の染色体パターンから外挿像を作らせたのだろう?立体映像を作るだけでもひと財産かかるのに。
(中略)自分は美しいと考えると、気が楽になると同時に、不安にもなった。殻人たちは自分の人間としての外観について考えないよう条件づけられており、自分自身の姿を目にすることは決してなかった。それもまた、極秘事項だった。とはいえ、なんとしてもあることを知ろうと決意した人間にとって、秘密なもの、神聖にして侵すべからざるものなど、存在しなかった。
---引用終わり---

一人では生きてゆけないことを自覚しつつも、決して、運命に対し受け身でいないこと。弱さを見せた相手を信頼し、不安を乗り越えること。
美しい初恋を、なかなか振り切ることができなかったヘルヴァの成長が、読者の心を打ちます。
第6篇のタイトルは「伴侶を得た船」。目次を見ただけで、ハッピーエンドが盛大にネタバレしていますが、ぜひ本文を読んでみてください。
結末が分かっていても、何度読んでも面白い。これが古典の素晴らしさですね。

もう一冊の『誰の死体?』は、ドロシー・セイヤーズによる「ピーター卿」ものからの復刊。貴族探偵の初々しいデビュー作です。
かつては、創元推理文庫で、シリーズのほとんどの作品が読めたのですが(最後の「蜜月旅行」だけ早川さん)、近年は在庫切れとなっていました。私も「忙しい蜜月旅行」をポケミスで、「毒」(毒を食らわば)をグーテンベルグ21で読み、創元版はなかなか手に入れることができませんでした。
その状況が変わったのが、2017年の『ピーター卿の事件簿』新訳版です。ようやく、シリーズの傑作短編を鍵のマークで読むことができ、さらに、今年になって、創元版『大忙しの蜜月旅行』が誕生しました。これで大きな柱が2本立ち、後はシリーズの復刊を待つだけ、いやコレ絶対やるでしょとなっていたわけです。

そんな、待ちに待って登場した1作目ですが、正直に言うと、シリーズ未読の方が、この作品から順番に読んでいくのは、あまりオススメしません。
登場するのは、全裸に鼻眼鏡を掛けた身元不明のオジサンの死体(よく見るとちょっとキタナイ)。貴族探偵のピーター卿は、母親のコネを利用し趣味道楽で事件現場に鼻を突っ込んでくる迷惑な素人。会話には、古書コレクターとしての稀覯本知識のひけらかしや、日本人には馴染みのない文学的引用がちりばめられ…。うん、ちょっとハードルが高いです。
もちろん、本書がつまらない作品というわけではありません。事件の要点が整理され、ピーター卿の深い人格造形や、従僕バンターとの固い友情が明かされる中盤からは、がぜん面白くなってきます(読者が疑問に思うことは、作者もちゃんと気が付いているのです)。うるさいウンチクも、本筋に関係のないフレーバーで、キャラ立て用の「属性」とわかってくるのですが、登場人物になじみがないと、世界観になじむ前に挫折してしまうかもしれません。現代人は忙しいし、もっと手軽な娯楽に不自由しませんからね…。

なるほど、版元がまず「事件簿」を出し、それから大団円の「蜜月旅行」と続けて、第1作を3番目に持ってきた理由がわかりました。
まず、シリーズに謎解きゲームを超える深みを与え、キャラクター人気を不動のものとした、ピーター卿と女性作家ハリエットとの恋の結末を知ってもらったうえで、「最初はこうだったんですよ」という読み方をしたほうが、入り込みやすいと思います。
やはりこの次、期待が高まるのは、ハリエットとの出会いが描かれる「毒」ですよね。描き下ろされる表紙イラストも楽しみです。

また、個人的に興味深かったのは、ピーター卿が、「意識的に」無意識を活用していることです。

---以下、引用---
「これで眠れるだろう」ピーター卿は考えた。「問題を考えるのは無意識に任せておかないと、明日はくたくたで使いものにならなくなる」
---引用終わり---

これ、私も大いに活用しています。目覚めていては見つけられない資料を、一発で探し当てたりするのですが、夢日記をつけるのと同じで、脳の健康にとってはかなり危険な行為かもしれません。
一度、何かの拍子に夜中に目を覚ましたときに、その直前まで熟睡中の自分が、どんな脳内世界をさまよっているのかを垣間見たことがあります。なんだか狭い石造りの通路の中を、一人で歩いていました。石壁の質感までリアルに思い出せるのですが、どこで何をやっていたのやら…。深く追求しない方がよさそうです。

というわけで、以上2冊が、新たに当文庫の蔵書に加わったわけです。こうして、同じ棚に並べてみたことでの発見もあります。
その発見とは、以前に「蔵書より」で紹介した、「氷と炎の歌」シリーズの登場人物であるティリオン・ラニスターとの類似性です(2020年5月11日投稿「[秋帽子文庫]蔵書より_ティリオンの知恵」参照)。
「インプ」と呼ばれるティリオンは身体障害者なので、『歌う船』のヘルヴァと似た境遇にあります。ティリオンの支えは、身内に優しい兄と、ドラゴンの出てくる物語でした。ヘルヴァと異なるのは、ティリオンは、幻滅に終わった初恋の後、自分にぴったりのパートナーに恵まれなかったことでしょう(小説はまだ完結していないので、彼が伴侶を得る可能性も残っていますが…アリアなんかどうかな?)。しかし、感じやすい心を持ちながら、たくましく生きる意志の力は、両者に共通のものです。

また、ティリオンは、恵まれた知恵を活かして乱世を生き抜いていくうえで、王家の外戚である裕福な大貴族の次男坊という立場を利用します(人権保護団体など存在しない封建社会ですから、生まれたのが庶民の家であれば、すぐに殺されていただろうと本人が説明しています)。
ピーター卿の個性的な捜査手法も、彼が実家から受け継いだ財力と社会的地位、母である先代公妃の人脈によって支えられています。
シャーロック・ホームズとワトソンが、レストレードなど「足で稼ぐ」タイプのスコットランドヤードの刑事たちを出しぬけるのは、単に推理の力だけでなく、大学で受けた高い教育と(たとえば「ドイツ語が読める」とか)、紳士階級に属し、名刺一枚で社会的地位の高い容疑者に面会できることが大きいそうです。現代社会においても、学歴と名刺の持つ威力は相当なものです。知名度の高い企業の従業員の方々には、ご納得いただけるのではないでしょうか。
ただし、われらが貴族探偵が、大金を湯水のように使う「富豪刑事」(筒井康隆のユーモアミステリ作品)と違うのは、ピーター卿はやがて人間的に成長し、自らの知恵と人間性によって、他者、特にハリエットの信頼を勝ち得るところです。
ティリオンが、お抱えの娼婦を巡って父を殺し、国外逃亡の末に、ドラゴン女王の知恵袋として帰還する顛末と比較すると、なかなか面白い気がします。いずれティリオンの冒険が落ち着いたら、改めてじっくりと考えてみましょう。

長くなりました。台風が近づいているので、そろそろ片付けて帰ります。

2020年10月9日
秋帽子

〔所蔵品情報〕SF閨秀作家、宇宙、サイバネティクス、名著復活2020
『歌う船』
著:アン・マキャフリー
訳:酒匂真理子
創元推理文庫 SF マ 1-1
ISBN978-4-488-68301-6
1984年初版 / 2020年23版

〔所蔵品情報〕ミステリ閨秀作家、英国貴族、眼鏡、名著復活2020
『誰の死体?』
著:ドロシー・L・セイヤーズ
訳:浅羽莢子
創元推理文庫 M セ 1-2
ISBN978-4-488-18302-8
1993年初版 / 2020年18版

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