見出し画像

失うことで見える景色

お疲れ様です。
アラフィフで起業を目指しています。

今回は、「失うことで見える景色」についてです。

最近はこんな記事を書いていました。

途中でやめてもいいということ、そして実際にやめてみた話。

今回は、実際にやめてみるとどんな世界が見えるのかについての話です。

①失うことをコントロールできるか?

「失う」にしても、自分でコントロールできるもの、できないものがあります。

私が記事で書いたのは、全て「自分でやめたこと」です。言い方を変えれば、「自分で決めたこと」ともいうことができ、自分でコントロールしたことです。

一方、世の中には予期せず失うこともあります。

例えば、会社が倒産して仕事を失ったり、親しい友人や家族を失うこと。
こちらは、自分でコントロールできないことです。

自分で決めたことに比べると、心理的ショックは大きいかもしれません。

②失うことに大小はあるのか?

心理的なショックの大小は、コントロールできること・できないことで変わることは先ほどお伝えしました、「失うものの大小」はどうでしょうか?

自分がその物、その人、そのお金をどのぐらい大切にしていたかどうかで、喪失感の大小は決まるのかもしれません。

例えばモノ

・誰に買ってもらったのか?
・どんな場所で貰ったのか?
・そのモノはどんな値段なのか?
・そのモノにはどんな思い出があるのか?
・そのモノはどれぐらい使ったのか?

喪失感の大小は、ヒト・モノ・カネの種類では決められないということです。そこには、その人ならではの価値観が入り込んでくるからです。

③良寛さんの教え

先日読んでいた本に、こんなことが書かれていましたので、引用します。

人間は誰しも大切な物を失うと、無力感や哀しみを強く感じることになります。(中略)仏教者は、それを超えた先には「喪失によって見えてくる真実」があると考えます。何かを失うことによって、今までには見えなかった何かが見えてくるのです。
100分DE名著 良寛誌歌集 「どん底目線で生きる」

良寛さんが、出家したのはすべてを捨てることで、何かが見えてくるのではないかとひらめいたからだということです。

私が考えるポイントは、大切なものを失うことで、必ず何かが見つかるわけではないということです。

大切なモノを失った時に、「きっと何かが見えてくるはず」と強い想いを持つこと。そして何かを見ようとする姿勢が大切なのではないかと思います。

何かを失って、ただそこに立ち止まる。それも心を整理するためには大切な時間だと思いますが、ずっと立ち止まっているわけにはいきませんよね。

喪失を自分の力に少しでも変えられる人になれるように、日々努力と精進を重ねたいと思います。

まとめ

今回は、失うことで見える景色について考えてみました。

自分が良寛さんのような人物になることなんてできませんが、日々生きていく中で、人間を磨いていきたいと考えています。

アラフィフの残りの人生は、きっと失うものの方が多いと思いますので。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?