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「学習する組織」のきほんの「ほ」(オンライン&短縮版②)200326

先日のエントリーの続き。前回のをとても短くまとめるなら、こういう感じだ ↓

意識は、私たちの貴重なリソースであり、私たちのエネルギーは、意識のあとを付いていく。だから、「嫌なものを避ける」より「何を創り出したいか」に意識を向けることが大切だ。

しかし、自分が欲しいもの(ビジョン)だけを「欲しい、欲しい」と言い続けていても何も変わらない。ビジョンを明確にするのと同じくらい大切なのは、今の現実をありのままに見ることだ。この対比についてもう少し紹介する。

〇 創造的緊張はすべての動きの背後にある

この「ビジョン」と「今の現実」を並べたとき、緊張構造が生まれる。上の方にビジョン、下の方に今の現実と書いて、その間に大きな輪ゴムをかけた状態をイメージする。張り詰めたゴムが、その緊張状態を解消して、今の現実を私(たち)の望む状態へ近づけようとする。この構造から生まれるエネルギーを創造的緊張(クリエイティブ・テンション)という。

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創造的緊張が、ビジョンへ向かうエネルギーを生み出すのは、あらゆる動きの背景に「緊張は、解消を求める」というシンプルなロジックがあるからだと、ロバート・フリッツは洞察する。

たとえば、身体が望むエネルギー量(ビジョン)と今のエネルギー量(今の現実)の差が、空腹という緊張を生み出し、私たちは食事を通じてそれを解消する。また、飛行機の翼は上面と下面でカーブが違っていて、これが翼の上と下に気圧の差(緊張関係)を創り出す。この気圧の差を解消しようとして働くのが揚力だ。だから飛行機は落ちない、らしい。

音楽家、組織コンサルタント、作家、映画監督と、自ら多彩なキャリアを創り出しているフリッツだが、この緊張構造を創り出すことが、すべてのカギになっているようだ。ドラマだって、男女が出会う、引き裂かれる(緊張)、そしてまた結ばれる(解消)。音楽も同様のコントラストでできている(不協和音→協和音を繰り返している)。

意識して、身の回りの創造的緊張を探してみると、実際に起きている変化(繰り返しや好循環・悪循環)が構造的に理解できる。

〇 多くのリーダーが、ビジョンと今の現実を両方を意識している

この「創造的緊張」のシンプルなモデルを提唱したのは、フリッツだが、その考え方自体は、歴史上に長く存在してきたものだ。『学習する組織』に引用されているのは、アメリカの黒人運動の指導者キング牧師だ。彼が投獄中に書いた「バーミンガムからの手紙」にはこういうフレーズがある。

ソクラテスは、誤解や一部しか真実のない言葉による束縛から、私たち一人ひとりが立ち上げることができるように、心に緊張を生み出す必要があると感じたが(中略)、私たちも同じように、偏見や差別の闇の深みから人々が立ち上がる手助けをするような緊張を、社会に生み出さなければならない。(『学習する組織』p.492)

しかし、より難しいのは、今の現実をありのままに見ることだ。同じキング牧師のいちばん有名な「I have a dream」の演説を例に出してみる。

https://www.youtube.com/watch?v=eQ6q2cnVXqQ (日本語訳付き)

キング牧師が、この17分の演説で3分の2を費やしているのは、「今の現実」を明らかにすることだ。奴隷解放宣言から100年が過ぎて、黒人は未だ自由ではなく、差別や不平等、貧富の差が歴然として存在している事実を明確に述べている。

自由と平等という「夢」がみんなに感動を与えたことで知られるこの演説だが、本当はその「夢」と12分間にわたる「今の現実」の描写の対比によって、強力な創造的緊張を生み出し、人々がアクションを起こすエネルギーに火をつけた。とても有名な「I have a dream」というフレーズが繰り返されているのは、実は最後の5分間だけだ。

ピーター・センゲは、こんなことを言う。

ビジョンを語り、現実から目を背ける人が、ビジョナリーに汚名を着せる。ビジョンなく、現実だけを分析する人をアナリストって言うんだ。

〇 日々のプラクティス(実践)として

実践することはシンプルだ。

・「私が欲しいと望むもの(ビジョン)」を明確にし続けること
・ビジョンと対比した「今の現実」をありのままにとらえること

この2つを実践し続けることだ。そして、この「続ける」ところにポイントがある。ビジョンは、時間を取って意識を向け、イメージを明確にし続けることでその解像度を上げていくことができる。

センゲがファシリテーターを努める3日間のワークショップでは、参加者が毎日短い時間の瞑想を行い、ほかの参加者と話し合う時間がある。世界各地から集まるグローバル企業、国際NGOや非営利法人の幹部や管理職たちが、このワークを繰り返すほどに、それぞれの望むものを明確に、そして自分ごととしての想いを込めて話すようになっていく。そして、ビジョンが明確になるほど、今の現実も明確に見えるようになってくる。

〇 テンションとギャップのちがい

よくある質問がこれだ。たとえば、勤めている企業には理念や個人に落とし込まれた目標があり、現状としての数字があったりする。では「この差を明確にして、行動計画を立てていくことと、創造的緊張の何が違うのか?」 。

まず、単純な話だが、そこでビジョンとか目標とか呼んでいるものが、「あなたが望んでいるもの(=ビジョン)」でなければ、緊張関係は生まれない

フリッツは「ギャップというのは、マドンナの前歯の隙間みたいなものだ」と、分かりにくい表現をする(苦笑)が、「ギャップ」があることと、解消を求める「緊張」があることはまったく別の概念だ。ギャップがなければ、緊張は生まれないが、ギャップがあるからといって、緊張が生まれるとは限らない。

ここでの困惑が生じる背景に、とても一般的な誤解があるように思う。日本でもほかの国々でも、「ビジョン」とはまるで誰か(往々にして高い役職にある人)が考えて、ほかの従業員に与えられるもの、であるかのように思われていることだ。これをセンゲは組織の「ビジョン・ステートメント」と、学習する組織における「ビジョン」とを混同してはいけないと、繰り返し強調する。

共有ビジョンを築くディシプリンを習得する第一歩は、ビジョンはつねに「上」から申し渡されるもの、あるいは組織の制度化された計画立案プロセスから出てくるものだという既成概念を捨て去ることだ。(学習する組織 p.291)

私たち人間は、学習する存在だ。そして、学習は、ビジョンがあるから起きるのだ。「立派なビジョン・ステートメントをつくって落とし込めば、みんながそれに感銘を受け、ゴールに向かってがんばってくれる」なんていうのは(私なんかがこんなこと言ってよいのか震えつつ書いてしまえば)幻想だ、と思う。

それよりも、一緒に働く人たちが、本当に望んでいることは何か。それを語ることのでき、お互いのビジョンが共鳴し合うような環境を創ることに目を向けられないだろうか?「うちのメンバーにビジョンなんて聞いても何も出てこない」のだとしたら、「何も出さない」方が安全だと中の人たちが感じるような環境を創り出しているものが何か、その環境に目を向けることはできないだろうか?

〇 ビジョンが何かではない。何をするかが大切だ。

もう1つ陥りがちな罠として、本当に望んでいるビジョンがあるにもかかわらず、それと現実のギャップが大きすぎて無力感に圧倒されて動けなくなってしまう場合には、「感情的緊張」に気を付ける必要がある。

感情的緊張とは、ビジョンを今の現実に近づけようという妥協を引き起こすものだ。たとえば、クラスでいちばん背の低い子が、「プロバスケットボール選手になりたい」と言ったら、きっとみんなに笑われるだろう。そもそも走るのも速くないし、高く飛べるわけでもない。だんだん目標はすり替わっていく。大学までで良いから続けられたらいい。いや、まず中学のクラブでレギュラーになれたらいい。もしかしてマネージャーの方が向いているかも。そんなふうに目標をあきらめていった経験が、多くの人にあるのではないか?

一方で、世界最高峰のプロバスケットボール協会NBAで15年間に渡ってプレイしていた160㎝の選手がいる。「そんなの無理だ!」と多くの人が思っていたはずなのに。

誰もが頑張ればNBAでプレイできる!という非現実的な話ではない。ただ、とんでもなく常人離れした身体能力を持つこの選手も、そのキャリアのどこかで同じように笑われたり、壁にぶつかったりしたのではないだろうか?どうすればうまくいくのか分からずに、目標を下げた方が楽になれるときがあったのではないだろうか?

そのちがいはどこにあるか? 何かを成し遂げた人は、自分が望むものを明らかにして、それを明確にし続けた。超一流のスポーツ選手たちが、子どもの頃から自分の成功イメージをリアルに描き続けていることはよく知られた話だ。創造的緊張を維持し続けることは、私たちの日常にエネルギーをくれる。たとえそれが、ビジョンがなかった場合に比べて、ほんの1キロ長く走りこむこと、1冊でも多く本を読むこと、そんな小さな一つの選択だったとしても。

アスリートである必要もない。ただシンプルに言えば、自分の望むものに焦点を当てれば創造的緊張が生まれる。逆に、今の自分を取り巻く環境条件に焦点を当てれば、感情的緊張が生まれる(このあたりは、フリッツの『自意識と創り出す思考』が詳しい)。

ビジョンが実現するかどうかは誰にも分からない。しかし、大切なことは、自分の望むものへと向かう緊張構造を創り出し、それを維持することだ。創造的緊張が現実をビジョンに近づける力をくれる。そうでなければ、私たちに与えられた選択肢は、ただ現状に甘んじることだけになってしまうことに気が付くだろうか?

ロバート・フリッツのいちばん有名な言葉がこれだ。

ビジョンが何であるかではない。ビジョンが何をするかが大切なんだ。
(It's not what the vision is, but it's what the vision does.)

〇 HOWを知っている必要はない

ビジョンを明確にし続けるとき、もうひとつ大きな障害がある。「望むものはあるけれど、それをどうやって実現できるか分からないから、望むことができない」という考えだ。

センゲの言葉を、誤解を恐れずに紹介してしまえば、そのビジョンの実現のため何をすべきかをとても良く知っていたとしても、まったく分からないとして、そんなことはどうでも構わない。「所詮、全ては思い込みだからだ。もしあなたがどうやって実現するかを『知っている』として、どうやってその『知っている考え』が正しいかどうかを知るのだろうか?」だ。

こんなたとえ話がある。1960年代に米国のケネディ大統領が「10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」と宣言したとき、そこには実現方法を知る人はいなかったし、当時、そのビジョンを実現する方法は「なかった」のだ。

NASAでロケット開発に携わる小野さんの記事が詳しいが、アポロ計画を可能にしたのは、到底実現不可能だと考えられていた月面ランデブーという方法だった。月の軌道上で司令船と着陸船を切り離し、また同じ軌道上でドッキングするという、当時奇想天外に思われた計画をコテンパンに却下された無名の技術者ハウボルトは言ったらしい。

「月に行きたいのですか、行きたくないのですか?」

月へ行けるかどうか、行く方法があるかどうか、という今の環境条件ではなく、月に行きたいのだというビジョンに焦点を当てたとき、この選択肢を実現するあらゆる方法にエネルギーが向けられた。ビジョンを明確にすることで、今の現実が、ビジョンに対して何か欠けた「敵」ではなく、あらゆる可能性を包含した「味方」になる。「創り出すことに意識を向ける」ことの成果がここにある。

想像してみてほしい。あなたは、自分の小さな子どもに「非現実的な夢を見ても失敗するかもしれないから、自分でなんとかできる方法を知っている目標だけを持ちなさい」と言いたいだろうか?

私たちは、何かを願い、そのために行動し、学習する存在だ。何かを実現したいと思うことは、私たちに生まれつき備わっている力だ。WHATが先であり、HOWは後だ。何かを本当に望むことで、あらゆる可能性に目を向けることができる。望んだことが実現しなかったとして、そのために費やした時間とエネルギー、得られた学びは無駄にならない(と思う)。

〇 以上

単純なことを長々と書いた。「学習する組織」のコア学習能力の第一の柱「創造的な志向性」つまり「創り出したいものに意識を向ける」ことの大切さだ。

「私が創り出したいものは何ですか?」「私にとって大切なことはなんですか?」

たった、それだけの問いを自分に向けることから、創り出すプロセスは始まるのだ。

この「創造的な志向性」のほか「内省的な会話(メンタルモデル)」、「複雑性を理解する(システム思考)」の演習を組み込んだワークショップ(オンライン版)を、これから定期開催したいと思うので、「文章読むのが長くってつらい」人は、そのうちここで告知するので参加を検討してみてもらえたらー。

おしまい。

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