デリカシーが無いと言われます。

僕はここ一年デリカシーが無いと言われる事が増えた。僕自身それを言われる理想は薄々気付いている。僕は人前でも、自分にも、変に取り繕ったりする事を嫌う。嘘をつく事を嫌う。そうする事は相手にとって失礼だし、自分としても損していると思うからだ。だから正直に生きるという事を心掛けている。その生き方がデリカシーの無いと言われる根本的な理由なんだろうとは思っていた。

だが僕はいつも言われる度に違和感を感じていたのだが、ついに今日その違和感の正体が分かった。
デリカシーの言葉の意味と使い方にあったのだ。
僕はデリカシーの意味を"失礼な事"と認識していた。
これは正確には間違えていない。だけど、あまりにも抽象的な認識だったからこそ違和感に繋がっていた。
違和感を持つ理由は、自分は正直に本質を突くような、相手の事を思った善意の発言をしているはずなのに、どうしてデリカシーが無い(失礼だ)と言われるのか、この流れににあったのだ。
これは個人的に大きな発見だった。
そして同時に言葉をより丁寧に扱う必要があるのだと感じた。

というのも人間は多くの価値観を持つ人がいる。
その中で自分にとって嫌な事、都合の悪い事を知ってしまいたくなくて自分が大好きで傷つきやすいデリケートな人がいる。そんな人に対して本質を突いた発言をすると、その人は防衛反応で無意識なのかは分からないが、一番最初に挙げたような発言者に対して「デリカシーが無い」という発言に至るのだと分かった。

ここで重要なのは相手がどういう人なのか見極めた上で言葉を発するという事。

社会に住む人の中には、傷付くけども本質を突いてて自分に足りないものを教えてくれるような発言をしてくれた方が良いという人もいるだろう。そして、先程上げたように発してほしくない人もいる。この二つ要望を持った人や、それ以外の何か要望を持った人が、同じフィールドにいて、さらにぱっと見では分からないという事実。そして、この事実を受け止めて、自分の行動方針を決めないといけない。

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