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『物見の文士―柳暗花明《りゅうあんかめい》―』

夜桜や
浮かれ烏(からす)が舞い舞いと
桜花(はな)の木蔭に誰やらがいるわいな

惚(とぼ)けしゃんすな芽吹き柳が
風にもまれて
エエふぅわりふぅわりと

オオそうじゃいな
そうじゃわいな

〈意訳〉
夜桜の中、花街(吉原)
浮き浮きと張り見世の前を通り過ぎる
吉原にやって来た沢山の客=
浮かれ烏たち(冷やかしの客の事とも)

それを見る格子の中の妓たちの掛け合い

「桜花の蔭にいるのは
愛しいあの人じゃないかしら」

「惚気(のろけ)るのはおよしよ
桜花の向こうの
芽吹き柳の葉が風に揺られて
ふわふわと揺れてるだけじゃないのさ」

「オヤ、そうだねえ」
「アァそうだろうさ」


 2016年に紙雑誌で出たきりとなっていた拙作『物見の文士』シリーズの3作目の読み切り短編『柳暗花明』が、この度めでたく(株)COMPASSさんから電子復刻版として配信開始となりましたので
作品の制作当時に調べた江戸や明治の事、花街関係の事などなどで、作中には出てこない解説や豆知識、雑学を少しだけnoteに記しておきたいと思います。 
重大なネタバレなぞは含まず、本編を読まれてない方も、歴史の豆知識として読める箇所を含む短文です。

(再調査の時間は取れないので、記憶を頼みに書かせていただきます。
正確な考証をとりたい方は、こちらを一つのご参考に、さらにご自身で歴史資料等に触れていただけますと幸いです。)

小唄「夜桜や」


 作中の中盤にも登場する冒頭の小唄は、江戸の頃に作られた「夜桜や」という座敷唄です。今でも小唄として唄われておりまして、YouTubeなどで検索していただくと原曲を聞くことが可能です。
 粋なお姐さん方が三味線を爪弾きながら、しっとりと唄う「夜桜や」が聴けます。

 なるべく明治に近い頃の唄でイメージを取りたかったので、私が作品の参考にしたのは図書館にあった昔のカセットテープの小唄集の音源です。
 そちらは40年ほど前の唄でしたが、現代より軽快で跳ねのある踊り出したくなるような印象の曲でした。

まるで自分も含めた花街の世界を、一歩外側にひいた視点で見て茶化しているような、それすら楽しむような演奏で、唄い手さんの解釈と表現によって曲中の妓二人の心情も変わってくるように思います。

 さて曲中に唄われている花街の妓は、浮かれ歩く客たちをななめに見ながら、愛しい恋人を心待ちにしてただただ仲間にのろけているだけなのか

それとも、もう花街には来ないかもしれない昨日まで愛を語り合ったはずの情夫を
物見遊山で花街にやって来る浮かれ烏たちや、風に吹かれてあてどなくフラフラと揺れている柳の葉に例えて茶化し、まあそれも仕方ない事と笑いあっているのか

はたまたその哀しみと寂寥を唄っているのかも分かりませんが、何にしてもこれがお座敷に遊びに来た男性へのもてなしに唄われているという、何とも洒脱な花街の女性の唄であります。

 明治初期に花街で流行ったと制作時に参考にした資料の中に記述があり、明治からやってきた夜都木先生(主人公)と千晴社長(友人)を、異界元吉原の太夫 八千代がもてなす唄に設定したはずなのですが、残念ながら正確な出典は失念してしまいました。

ついでに少しだけ 元吉原と太夫の話


 明歴の大火で、浅草方面に居を移した後の新吉原では、華やかでしゃなりと美しく、学と芸、気品がある女性が太夫、花魁など高い位となるイメージですが、

戦国時代から間もない元吉原の頃に人気のあった太夫は、作中の八千代さんのようなきっぷの良い、体つきのしっかりした男勝りの女性だったようです。
 その頃の遊女の絵姿を見ると、華やかではありますが着物も腰で帯を結ぶタイプの戦国時代にまだほど近い、新吉原と比べれば大分シンプルな装いです。
「扇舞美人図」で画像を調べていただきますと、その時代に描かれた肉筆美人画を見る事が出来ます。

 資料にみる元吉原は、島原に似せた街の作りであった事や
明歴大火後の新吉原は瓦ぶき推奨となりましたが、屋根も建物も大門もまだ全て木造だった事などなど、大まかな点は分かりますが、新吉原ほど詳細で沢山の資料は残っていないようでした。
 元吉原については、お近くの図書館や国立国会図書館デジタルアーカイブなどで探せる『新燕石十種』の「元吉原の記」などに詳しく載っています。

「柳暗花明又一村」

柳に覆われた暗い場所を抜けると
明るく花の咲く美しい村に出た。

という漢詩の一節から「柳暗花明」という語句は、夜中でもそこだけ明るい街=花街や花柳界の比喩に使われます。

 かの吉原は、葦の生い茂るもの寂しく暗い場所を道なりに進むと、突然視界に現れるように造られていたというお話が伝わっていますので、
「こんなもの寂しい場所に、本当に花街があるのだろうか」
と登楼するために暗い道を進んでいく客が、いざ吉原を目にした時の心地を想像してみれば、確かに柳暗花明また一村、という高揚感であったのだろうと思われます。

 また本来「柳暗花明」は、何もないと思って歩き続けた場所が暗い所から突然に開けて、花の咲き乱れる美しく明るい世界に出るという所から

「不運な状況から突然の僥倖に恵まれる
希望が現れる」

という意味で使われるようです。


 この詩をよんだ陸游という方は、悪政により腐敗した政治に異を唱えうとまれ、田舎に蟄居していた頃に

その地でぐねぐねとした山道をどんどんと進んで行くと、ついに行き止まりかと思ったどん詰まりの向こうに
柳暗花明、美しい村を見つけこの詩を書き上げたと言います。

 異界の花街が舞台の作品ではありますが「柳暗花明」が花街を表す事よりもむしろ、その漢詩の情景がとても美しく感じたので副題につけさせていただきました。

こちらは抜粋ですのでご興味ある方はぜひ、「柳暗花明又一村」「陸游」などで調べてみて下さい。


それでは今回はこの辺りで。

お付き合いいただきまして有難うございました。




※ 補足 : 電子版の『物見の文士』シリーズは現在、

第1話 『狸囃子が聴こえる』
第2話 『柳暗花明』
(先行で他に『嘘吐き』)

の順で発行されておりますが、紙発行時の順番は、

第1話 『怪篇 酒呑童子事件』①
第2話 『邪龍はいざなう』②
第3話 『柳暗花明』
第4話 『嘘吐き』

となっておりました。
現時点で電子版の未発行な①②は、時期は未定ですが今後順次デジタルリメイクをする予定でおります。

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