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"よく遊びよく学べ"の本質

現代社会で説かれるのは学びの重要性ばかりで、遊びについて触れられる機会は少ない。

ネットでいろいろ調べてみたが、"よく遊びよく学べ"の出典や意図などは分からなかった。なので、自分なりに考えてみよう。

まず、この言葉は誰に向けられたものか。おそらくは成長過程の、前途洋々な若者たちへ向けたものだろう。勉学に勤しむ青少年、特に学生。学生の本業は学業だが、遊びも重要である。ということだろう。

では、この「よく遊ぶ」とはどういうことなのか。学びの重要性は現代人の多くが知っている。この言葉の本質を理解するには"よく遊び"について知るべきだろう。

勉強は忍耐力を、遊びは協調性を養うものだと思う。

勉強は孤独な戦いだ。受験というシステムの構造上、誰よりも多くのことを覚え良い点数を取り、少ない枠を勝ち取る戦いになる。自分の思い描く遠い未来を手にするために、目の前にある苦難に耐える忍耐力が養われる。

一方、遊びには協調性が不可欠だ。かくれんぼや鬼ごっこなどはもちろん、ゲームだって小さい頃は友達の家に行ってリビングで大人数ですることも多い。

勉強では常に1番を目指すが、遊びでは1番である必要はない。むしろ、あまりに突き抜けた実力の持ち主が仲間外れにされてしまうこともある。

少し個人的な話をさせてほしい。小学生のころ、任天堂ゲームキューブが大流行したが、兄がソニー信者だったため僕の家にはなかった。友達の家に行くと大概ゲームキューブをプレイすることになる。

僕はコントローラーのボタン配置すら分からないから、どのゲームでも1番下手だった。でも楽しかった。友人関係はそれでいいのだ。僕は「つまらないから他のゲームやろうよ」と提案し不和を招くよりも、友人との平和を選んだのだ。

このような経験で子供は妥協や協調を学ぶ。本当は別のゲームがしたいけど、友達の意思を尊重するのだ。そして、同時に相手の感情を伺うことも身につける。幼少期ら何気ない発言で友達を深く傷つけてしまったり大喧嘩になることも多い。

言葉を話し始めたばかりの赤ちゃんは自分の意思を伝えるのに精一杯で、相手のことを考える余裕はない。「おしめを変えてほしいけど、パパ忙しそうだから落ち着いてからにしよう」なんていう子どもはいない。

この幼少期の遊びを経験しないまま大人になると、この感覚が理解できない。みんなで楽しむという感覚が養われず、相手の気持ちを考えるという習慣も身につかない。

そうすると、他者との交流を好まず、いざ交流しても相手の気持ちを考えずズレた発言をしてしまう。いわゆる「コミュ障」だ。コミュ障の要因は幼少期の遊びの不足にある。

つまり、"よく遊びよく学べ"は「勉強はもちろん大切だけど遊ばないとコミュ障になるぞ」といっているのだ。

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