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web小説はなぜ現代人のオアシスになったのか

序章 小説の移り変わり

 かつて小説(文学)と言えば知的好奇心をくすぐる読み物だった。そして少し重厚で格式高い文章だった。

 森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、中島敦等だ。

 大衆文学と言えどそうだ。やはり少しインテリ層向きを対象にしている節がある。

 ではいつからそこまで重たくない軽めの小説が生まれたのだろうか。それはやはりバブル期に始まったライトノベルの台頭とネット社会によるweb小説の影響だろう。

一章 近代文学から大衆文学の登場まで

 明治、大正時代の小説はロマン主義、自然主義、反自然主義(耽美派、白樺派)等といった思想や主義を主張する為の作品だった。
 当時の旧帝大出身の人達が格調高い文章に自分の思想の内容を込めた作品を書いていた。

 要するに小難しいのだ。しかし当時の読者はその知的好奇心をくすぐる内容にいたく感動したことだろう。

 そして大正時代の終わりから昭和に入ると商業的に小説を売る大衆小説が花開く。ということはつまりそれまでの有名小説はあまり大衆向けではなかったことが分かる。
 おそらくは当時の一部分のインテリ層がそれまでの小説(いわゆる純文学)を読んでいたのだろう。

 そして吉川英治の登場により、国民小説家と呼ばれるまでに至る作家が登場する。しかし内容は分かりやすく面白いが、昭和初期の文体。常用漢字がない戦前の漢字を使っているから、まだやはり小難しい文章が続いていく。文章まで読みやすくなるには戦後のバブル期まで待たねばなるまい。

二章 ライトノベル登場

 戦後直ぐに中学までの9年間の義務教育と当用漢字、また1950年からの高校進学率の増加、1981年の常用漢字の制定と言った教育改革により大衆の人達の読み書きの水準が上がった。

 書きやすく、読みやすい漢字の登場で多くの人々が文字の理解が出来やすくなったことであろう。

 そしてほとんどの人達はそういった分かりやすい文章を読めるようになると、そのような文体の小説が登場するのは当然の帰着だ。

 そして大衆小説は戦後になり比較的読みやすくなった。しかし時代物や推理物と言った内容はやはり知的をくすぐる作品には変わりない。

 そこで物語の根底にある人々の願望を叶え、快を与えると言った知的好奇心よりも分かりやすいに重点を置かれた小説が登場する。
 それが漫画やアニメの後押しで生まれたライトノベルだ。

 ライトノベルによってより大衆の快の部分(人々の光影両方の欲望)をより明確にした作品が出てくることになる。

三章 web小説の登場

 そしてネット社会の登場と日本経済の低迷により人々は人との交流や未来への希望が減った。

 そこで人々の願望を如実に反映し欲望を満たす作品が大量に登場する。

 情報化社会を明確に現す大量のweb小説の登場だ。これによりスマホ一つでいつでもどこでも無料で読みやすく自分の願望に合った小説を見つけれるようになった。

 時間に余裕がない現代人にとって、ゆったりと読みなかなか理解しにくい小難しい小説は毛嫌いの対象になりやすい。
 それよりか自分の好みにあった理解しやすい小説の方が読まれるのは至極当然かもしれない。

終章 現代人とweb小説

 物語は虚構であり、ある種の現実逃避だ。その内容が事実から離れて虚構に近づけば近づくほどそうなる。

 web小説は顕著にその傾向がある。そうなるのはランキング制の影響もあるだろうが、とういう内容がそれなりの人達に好まれるからだ。

 逆に考えて安くて簡単に虚構の世界に入れるのは無料のweb小説だ。人々がそんな良いコンテンツを見逃す訳がない。

 現代人は疲れている。学校に行ったり、社会で働いていると人間関係や沢山の提出物があって大変だ。だから沢山の虚構の中に入りたくなるのだ。
 それは彼等にとってユートピアであり、オアシスなのだ。

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