見出し画像

誰かが見ている

「お天道様が見てる」

意味:「人間の悪事に対して、ほかの人間が誰も見ていなくても太陽はきちんと見ているのだから、どんな時でも悪事ははたらかぬべきだと説く語」(Weblio辞書から引用)

この言葉は誰もが耳にしたことがあるはず。

  お天道様、つまり神(ないし仏)の目からは逃れられない。

  一方で、「神様はちゃんと見ているから大丈夫」と言う人もいる。つまり、誰も見ていなくても、神様はちゃんと見てくれているということ。





これは、特定の個人に伝えたかったこと。


  私は大学生の4年間、あるサークルに所属していた。そのサークルでは、3年生が中心となって運営を行っており、代表は3年生の中から選挙で決められていた。しかし、大学3年生のほぼ全てがコロナ禍によって潰された。当時は多くの人がコロナを理由に様々な制限を受けた。2020年は一番苦しい年だった。


  おそらく多くの人は、コロナ禍がこんなにも長く続くとは思わなかっただろう。当然、サークル活動もほとんどできなかった。最初のうちは、イベント等の担当者がオンラインで何かを企画しようと動いたりしてくれた。他方で、通常活動は大学外の一般人との関わりが大きかったため、通常活動は著しく制限された。その中でも、総会など必要なことは代表や副代表を中心に行われ、外部の顧問の方へ挨拶にも行っていた。


  先述のイベント担当が、時折サークル活動を盛り上げようとオンライン交流会を何度か企画してくれた。オンライン交流会は、数少ないサークル活動の機会になっており、普通に楽しかった。そして、終わった後には、グループLINEで「お疲れ様!」「楽しかった」「企画してくれてありがとう!」といった言葉が飛んだ。コロナ禍にかかわらず、それまでもイベント担当の人たちはいろいろと企画をしてくれていた。盛り上げ役として大いに活躍しており、みんな感謝していた。



  ただ、途中からこの状況に違和感を感じていた。



 2020年秋、サークル活動に対する規制が緩和され、条件付きではあるがようやく通常の活動が再開された。念願の活動再開だった。活動再開に向けていろいろと準備が必要で、代表や副代表が中心に動いていた。しかし、活動再開直後、大学内で新型コロナ感染者が出たことで、緊急の全活動に対する禁止措置がとられた。予定されていた活動には、学外の一般の方も来る予定だったのだが、当時の運用上、一般の方に対してこちら側から直接連絡を取る手段が無かった。そのため、活動中止を伝えるべく対応策を話し合い、結果的に代表が当日1人でその一般の方が来るのを待ち、直接伝えてお詫びする形となった。

 面倒な役を全て代表に押し付ける感じになってしまった。緊急だったため反応できなかったのは仕方がないが、代表と私のほぼ2人での話合いだった。そして、対応後についても他の人からの反応は少なかった。


  代表にかかわらず、グループ内での呼びかけに対して反応が薄いことは珍しいことではない。



  2021年の春先、代表最後の仕事である後期総会があった。このサークルの総会は、何人以上出席しないと開催できないという定足数が規則で定められていた。主に代表が準備をし、定足数を満たすように開催日が決められた。

  しかし、総会当日、出席者が予定より少なく、定足数にすら満たない状況だった。この時、さすがに代表がキレた。表立って怒ったのは初めてだったと思う。全員の都合に合わせて日程調整を行うとはいえ、総会は原則参加であるし、活動の中でも重要である。この時は無断欠席もあった。正直、この時は酷かった。




  大変な役を務めてくれた代表には、本当に感謝しかない。

  しかし、彼の働きが十分に評価されていないのではないかと思っていた。




努力した人の働きが評価されず、影に隠れてしまう。努力して評価されるべき者が、正当な評価を受けられず、別の人が周りから評価される。そのようなことが度々あるように思う。先述のイベントを企画してくれた人たちが評価されるべきでないというわけではない。彼らに対する周りからの反応と、どうもギャップが大きいと感じていたからだ。しかも、選挙でほぼ全員が彼を代表に選んだのだ。代表に託した以上、もっと協力すべきだったのではないか。



正当な評価がなされてない人は、憤りを感じる人もいれば、別にどうでもいいと気にしない人もいる。当時、代表の彼がどう思ってたかは知らない。もしかしたら、誰も見ていなくても、評価してくれなくても、自分の努力は自分で分かっているし、神様が見てくれていると考える人もいるかもしれない。多少なりとも周りに失望していたかもしれない。


ただ、「誰も見ていなくても」と考えるのは少し待ってほしい。貴方のことは、貴方の努力は、誰かがちゃんと見ている。見てくれている人がいる。


誰も見ていないと思う前に、周りへ失望する前に、少しでも「誰かが見てくれている」と思ってほしい。逆に、その人の努力をちゃんと見ている人は、貴方の存在を伝えてほしい。私は、そのことを言葉で伝えられたことで救われたことがあったから。個人の感覚にすぎない。しかし、別の人にとっても、少しでも救いになるかもしれないから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?