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染みのような陽やけと煙りの道筋 ―吉増剛造さんのライブパフォーマンスによせて

今日は、6月5日(土)に足利市の artspace&café で行われた吉増剛造さんのライブパフォーマンスについて感想を書こうと思います。これは、吉増剛造展「Voix」の会期中に行われたものです。会場には、毎週木曜日に YouTubeで更新される「葉書Cine」から切り取られた写真やポラロイドの日記が並び、時の積み重ねを改めて感じることが出来ます。また、3月に河北新報の震災特集に掲載された詩「石巻」の原稿を見ることも出来ました。


私がはじめて吉増さんの作品を読んだのは、20年くらい前でしょうか。『熱風』(1979年 中央公論社)という詩集を図書館で借りたのが最初でした。「漁師さん、金比羅さん、この空に吊る絵馬は、どっかにないかしら、」という一行に見えない風を見るように空を見上げたことを思い出します。吉増さんの言葉を追いながら、いつも誰かの気配に導かれるように、道端の景色を見ていました。2年前に石巻で行われたリボーンアートフェスに吉増さんが参加されるとのことで、私も鮎川を訪れました。訪れた日は暑い日でした。真っ青な美しい海が広がっていました。眼下に広がる景色と、かつて見えたもの。詩人の家で過ごした日は、見えないものへ耳をすますような時間でした。お香の煙りが静かに流れていました。

パフォーマンスに話を戻します。

その日は、マリリアさんの歌からはじまりました。彼女が声を発した途端、ふるえが起こり、場の空気がはっきりと変わるのを感じました。シャーマン的、といえばいいのでしょうか。何かを迎え入れる空気が生まれたようでした。

吉増さんはカメラを片手に、それを第三眼のようにして、パフォーマンスが始まりました。カメラがとらえた映像は壁の三つのモニターに映し出される仕組みです。それから、フランスで朗読したという過去の音源が流されました。自分の声ではないようだと、吉増さんは言ったと思います。記憶とは違う、しかし確かに記録された音が空気に引っかき傷をつけるようにして、吉増さんはアイマスクをし、インクを原稿の上に垂らしていきます。そうそう、忘れてはいけません。この時、テーブルは煙りに包まれています。お香が2本、あったでしょうか。見えない風と、時間が定義されました。

インクが垂らされた瞬間、それは言葉になれなかった言葉が溢れていく瞬間のようにも思いました。インクが零れる音をなぜか数日経っても覚えていました。正確ではないのかもしれませんが、あの紙に垂らされた生々しい、すべて曝け出されてしまったかのような音を感覚として覚えていました。原稿用紙に広がる緑色。ゴッホが弟のテオに手紙で懇願した絵の具の緑、その延長のようだと吉増さんはいいます。

カメラを片手に話す吉増さんの姿も印象的でした。普段 YouTube で見ているのは、モニターに映し出される映像です。最後に会場からもご指摘がありましたが、それはまさに撮影現場に居合わせているような、普段このように映像が作られているのかという発見がありました。場にはあらゆる空気の断層がありました。その断層が、ひとつの映像を導いているようにも思いました。

そして、これは目を見張るような出来事でしたが、アントナン・アルトーの本を引用して、ゴッホのひまわりについて「陽にやけた」という言葉が出てきたことです。こんな風な目で改めて絵を見ていると、過去に見た記憶がさらに焼き付けられ、その感覚に導かれるように触れることの出来るものがあることを吉増さんは指し示してくれました。これは不思議な体験でした。記憶については私もよく考えることがあります。過去に触れたもの、その感覚でなぞられる現在というものが何を導き出すのでしょう。リボーンアートフェスで鮎川を訪れたところから、記憶を重ね合わせて、手を伸ばしても届かないはずの場所へ、だがその道筋が確かにあることを見るような、そんな空気の裂け目を、陽やけした記憶によって見ることが出来るのだと思える瞬間でした。

この日、河北新報の記事をバッグに忍び込ませていました。この記事が記憶の中に張り付いて、ここから見える景色があるように思ったのです。「石巻」という詩のなかに、「芭蕉さんにも曾良さんにも、語りかけている」というくだりがあって、インタビューのなかで吉増さんがこう話す箇所があります。以下は河北新報からの引用です。


〈「どう説明したらいいか分からない」という心の状態が、かすかな心の動きを見つける回路だと気付いた。北上川そばの大川小の向こうの宇宙から芭蕉と曾良という旅人が3、400年前に心細く幻のように歩いている姿を後続の旅人が見ている。何とかしてそこに、かすかな風景をつくりたい。〉


この静かな道筋は、煙りの向こう、たくさんの陽やけを積み重ねてようやく辿り着く、ひとつのヴィジョンのようにも思います。同時に「潜りゆく鯨に触れつつある」という同展のフライヤーに記された吉増さんの言葉には、膨大な、恐ろしいほど膨大な時間、そして一筋の光をみるような気がします。

パフォーマンスが終了した会場には、インクが乾きかけた原稿が置かれたままになっていました。生きていたそのインクは、だんだん染みのようになって、脳裏に焼け付くようでした。文字もまた引っ掻き傷のような、染みのようなものなのでしょうか。思えばいつも吉増さんは、写真も文字も重ね合わせて、そこに現れる声にずっと耳をすませているように思います。その空間に立ち上がる煙りは、見えないものとの境を示しているのかもしれません。


帰り路、震災特集の記事を書いた河北新報の宮田さんが、今回のパフォーマンスを能に見立てて、死者を呼ぶ、交流の場のように見えたとおっしゃって、そのことに驚かされながら、鮎川で見た海のこと、クジラの歯のこと、そしてホテルニューさか井の206号室のことを思い出していました。何かを目撃し、思いもよらない感覚が、ある日、静かに道を指し示すことがあるのだと。それはまるで一筋の煙りのようにも思えます。

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