「ドラえもん月面探査記」を観てきた!ーSFの過去と未来を繋ぐ作品ー
僕が高校生の時、ひいおばあちゃんが昔使っていた世界史の教科書を読んだことがある。奥付を見ると発行は1911年。明治44年である。ちなみに人気漫画のゴールデンカムイは1906年ごろを舞台としている。
その世界史の教科書を観て驚いたことがあった。ボリュームこそ薄く、文体こそ時代がかっているものの、内容的には現代の教科書とほぼ変わりなかったのだ。
「英国王ジョアンなるもの、暗愚にて土地を失い、失地王と称されるなり」
その教科書で記憶している一節である。そのほかにもローマ帝国や中国王朝の栄枯盛衰、ルネッサンスや宗教革命など、多少大まかな記述にはなっていたが大筋は現代のものと変わらなかった。
その時僕は思った。「ははあ、なるほど。歴史書ってのはどこかで一気にできるものじゃなく、その時代時代で過去の物を編集して作る物なんだな」と。
現在は過去の積み上げの上にある。当たり前の話だけれど、だからこそ忘れがちな事実だ。
人が作ったものでこれに当てはまらないものを探す方が大変だろう。科学も、政治も、音楽も、ファッションも、文学も数学も社会学もグルメもメディアもアートもスポーツも、技術も思想も生活も文化も国も社会も、何もかも過去の積み上げの上に成り立っている。
今日、映画を観てきた。それがとても素晴らしくて、ついついこんな前菜ばかり長いフルコースみたいな文章を書いている。そろそろ肉と魚の載ったお皿を出そう。
僕が観てきた映画は『ドラえもんのび太の月面探査記』である。
「おいおいサラダとスープ山盛りだった割にメインディッシュがしょぼいな」と思う人もいるかもしれない。そうではない。あれはどんな名作映画にも負けない骨太な作品だった。
一言で言えばあの作品は「全てのSFというものへの敬意と愛に溢れた作品」と言えるだろう。
これを説明するためにドラえもん映画というものの特殊性から紹介したい。僕は毎年春に公開されるドラえもんの映画ほど、ハードルの高い作品は中々ないと思っている。その理由は古参の固定ファンと新規の子供達の両方を満足させなくてはいけないからだ。
ドラえもん映画には大人になってもほぼ毎年映画館に足を運ぶ層が存在する。古参のファンは言う「すこしだけ新しいものが観たい。けれどドラえもんらしくないものは観たくない」
それと同時にドラえもんには次々と小さな新規顧客が入ってくる。彼らは言う「今、僕らに向けたドラえもんが観たい」
つまりドラえもん映画は「新しく」「ドラえもんらしく」「子供にわかる内容で」なければならず、そして何より「面白く」なくてはならない。
そして2019年のその答えが「世界中で積み上げられてきたSFの伝統を受け継ぎ、ほんの少しだけそこに重ねる」と言うことなのだろう。
ネタバレになってしまうのであまり言いたくないが、オープニングからSF好きの脳みそを爆発させにかかっているような情報量だった。
映画が始まって10分程度で定番のオープニングムービーが流れる
「19世紀後半を思わせる服装」ーHG・ウェルズとジュール・ベルヌの時代ー
「どら焼き型のUFO」ーそうだ、そこから始まったんだー
「かぐや姫」ー世界初の長編であり世界初のSFー
こんな風に流れるムービー1つ1つに反応して、脳内のフォルダが全自動で開いていく。
そして物語の本編ではさらにさらに脳内フォルダが音を立てて開きだす。その詳細はぜひ劇場にてと言いたい。とても言いたい。
そしていくら強調してもしたりないのが、それらSFという夜空に満天と輝く様々な星たちをつなぎ合わせ、これまで存在しなかった星座を作り上げたにも関わらず、その星座は紛れもなくドラえもんの形をしていたことだ。
「ドラえもんらしさ」を全く失っていない。のび太が笑われ、ドラえもんを頼り、秘密基地を作り、友達に自慢し、トラブルが起こり、外敵、侵略、防衛、友情、出会い、別れ、ハッピーエンド。それらストーリーラインの輝きは全く失われていない。
キャラクターも同じだ。のび太はのび太らしく、ドラえもんはドラえもんらしく、時に笑いのネタにされるような映画版の特徴もしっかりと押さえながら、ドラえもんらしさをスクリーンいっぱいに満たしてくれていた。
素晴らしいな。本当に素晴らしいよ。
観に行ってよかった。本当に。
そう思える今年のドラえもん映画だった。
【完全に蛇足の話】
SFとエロは深い関わりがある。SF作品の中で人生で初めてのエロスに出会った少年少女も少なくないと思う。エヴァンゲリオンの綾波レイのように。ゾイドのフィーネのように。
映画のクライマックスで少女のキャラクターであるルナが敵に捕まるシーンがあるのだが、人工知能が繰り出した自在に動くケーブルのようなもので少女が拘束される様子を見て、不謹慎ながら瞬間的に「エロい!」と思ってしまった。
まあ待ってください。ドラえもん映画でそんなこと思うのはアレだって僕もわかっているんですが、ちょっと考えてみてください。「少女+動くケーブル+束縛+拘束」ってもう完成してるじゃないですか。要素分解したら使ってる材料がもうアレじゃないですか。
いやね。多分これ製作者側の思惑があってのことだと思うんです。SFの伝統を受け継ぐためにはどっかでエロを挟まなきゃいけないけど、ドラえもん映画で派手なことはできないしどうしよっかなー、みたいな考えがあったんだと思うんですよ。
んー。ないですかねー。僕の考えすぎですかねー。
はいすみません。完全に余計な話でした。
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