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終戦記念日に靖国へ辿り着かなかった在日コリアンの手記

 2020年も8月15日が近い。75年前の1945年、大日本帝国の「大東亜戦争」が終わった日だが、僕にとっては同じくらい2年前の2018年も重要だ。あの日の正午ごろ、僕は東京の靖国神社に向かっていた。タオルハンカチで顔を拭い、川沿いをトボトボと歩いていた。セミの鳴き声に混じって、何やらくぐもった演説の声が聞こえていた。この20分後、僕は「殺すぞ、朝鮮人が!」と言われたため、靖国神社に辿り着かなかった。その顛末を少しだけ詳しく書いておく。

発端:一度は見ておきたい

 靖国神社には行ったことがなかった。

 僕は地方で育ち、30歳を過ぎるまでの人生を通じて、足が向く機会がなかった。勤務先企業で東京配属になり、職場のすぐ近くに靖国があることに気付いた。

 2018年8月15日は平日だった。僕は職場にいた。昼休み前、歳の離れた先輩から「君も、終戦記念日の靖国くらいは一度見ておいた方がいいよ」と言われた。

 普通のオフィスならぎょっとする会話かもしれないが、この職場では政治的な会話やディスカッションは普通だった。そういう職種だったし、開けた気風があった。

 僕は「確かにそうだな」と思った。僕の職場は、靖国神社からそれなりに近く、歩いて数十分もかからないはず。目の前にあり、今日がその日だというんだから、行ってみるのは面白いことだと思った。

 僕は在日コリアン4世だ。日本人である先輩もそれを知った上で「敵情視察にでも行っておいで」というトーンでけしかけたんだと思う。先輩はリベラルな人だったから、悪意などあろうはずもなく、その逆だ。

 とはいえ、日本人のリベラルである先輩にはそれができるとしても、どうも僕にはできなかったんだけど。それは後で思い知ったこと。

 終戦記念日の靖国。イメージするだけで磁力が高そうで、いろんな人が集まるんだろうと思った。僕もその一人になって、見物しようかなと。朝鮮半島出身者も(勝手に)合祀されてるわけだし、僕が行ってはいけない理由もない。

 僕がどんな個人的境遇や政治的立場にあるにしろ、あの歴史修正主義の総本山っぽい「遊就館」だって、一度は訪れてこの目で確かめてみたほうがいいかもしれない。感じることや考えること、論じることやひらめくことの幅が広がるはずだ。

 こうした動機はノンポリの方々からしたら大げさに感じるかもしれないが、僕は普段から在日として普通に好奇心を持ちアンテナを立てている人間なので、これくらいの感情は自分としては野次馬根性の範疇だった。

 そして甘かった。

遭遇:九段下の騒乱

 職場から川沿いに歩いた。靖国前の九段下交差点に近づくにつれ、路肩に並ぶ機動隊の大型車両が目立つように。ものものしい。やがてマイクを通したくぐもった演説、聴衆の拍手や叫びが聞こえた。続いて交差点の一角に人だかりが見え、警察機動隊員が周りを囲んでいるとわかった。

 どれ社会勉強と人だかりに入ると、視界に日の丸および旭日旗が飛んで来た。カラーコーンで区切られたスペースに数十人の男女がいた。中央には小さな演説台があり、男が何か話していた。

「支那や韓国は、我が国の領土を」云々と聞こえた。

 右翼の集会とすぐわかった。詳しい団体名は不明。いかつい中年男性だけでなく、内向的そうな青年や、女性たちもいた。旧来型の右翼団体ではなく、いわゆる「オルタナティブ右翼」「ネット右翼」「在特会」系が関係していると推察した。

 熱心な連中は前方で拍手している。よく見ると歩道を挟んだ後方には一般人と区別がつかない人々もいて、十数人がこの集会を観察していた。当局の人間か、僕のような通りがかりで足を止めた人間か、事情はわからないが、彼らは前方の聴衆とは違って、拍手を送らない。僕も後方の客観的な集団にまぎれ、腕を組んで演説会を眺めた。

 登壇者は現在の中国や韓国を批判していた。その筋書きは根拠なき妄想の連続であり、節々に差別的な悪意を感じる言葉を選んでいて、その時点で僕は嫌な気持ちになった。しかしこの登壇者は「ぎりぎり論評の範囲内ですよ」というポーズを崩さなかった、少なくとも次の登壇者に比べれば。

 演説が終わると拍手喝采。この連中を機動隊が取り囲みながら静観していることに違和感を持った。そして、通りかかる人々も特に何も言わない。声はマイクで大きな交差点一帯に響く。しかし、たしなめる人もいないし、警察に抗議する人もいない。

対決:殺すぞ、朝鮮人!

 次の登壇者は角刈りの男だった。適度に筋肉が付き、日焼けした中年で、ラフな服装をしていた。

 男は、開口一番「在日朝鮮人が」云々と言い出した。

 当事者として、僕は全身に力が入った。何を言い出すつもりだろう。差別的な言葉を散りばめながら、不明瞭な内容をつらつら喋っている。僕は男の話が頭に入ってこなくなり、どちらかと言うと誰も制止しない状況に苛ついて、歯軋りをしていた。すると、男は大きな声で強調し、次のようなフレーズを放った。

「とにかくウジ虫ゴキブリ在日朝鮮人は、日本から出て行けって話だよ!」

 よくぞ言った、という雰囲気で人々が沸く。僕はスイッチが入る。

「ヘイトスピーチじゃないか!」

 と、僕は思わず叫んだ。考えるより先だった。

 聴衆が一斉にこちらを見る。

「なんだぁ、コラ!!」と怒号が飛んでくる。

「ヘイトスピーチじゃないか、って言ってるんですよ!」と僕が再び言い終える前に、十数人がこちらに向かってきた。距離は最も近い相手で5メートルほど。

「何だぁ、てめえ在日朝鮮人かぁ!」と登壇者がマイク越しに言う。

 何人もの男たちが迫ってきている。やばいな、これは。麦わら帽子をかぶった小太りの男が先頭だ。僕を睨み、大声で叫んで、今にも掴みかかってきそうだ。

「おい!なんじゃコラあ在日がぁ!お前、魂引っこ抜いたろか、コラぁ!」
「殺すぞ!朝鮮人!日本から出てけやゴミが!殺す!殺す!殺すぞ!」

「殺す」ってひどいなと思いながら、「うるせぇな、ヘイトスピーチだって言ってんだろ」と僕は反論するが、相手は気にしていない。いよいよ小太りの男が僕の胸ぐらをつかもうとした瞬間、様子を見ていた機動隊員が間に割って入ってきた。

 文章でつづると長いが、僕が抗議の声を上げてからここまで、10秒以内の出来事だ。

結果:誰も味方ではない

 さて、危ない感じになってきた。複数の機動隊員が僕の肩を抱きながら「移動してください」「あっちいきましょうか」と促した。その間にも男たちは機動隊員越しに僕を取り囲み、「おら、在日、死ね!出てけや!日本から出てけ!」などと言いまくる。

 僕は「お前が出ていけよ!」と言い返しながらも、機動隊の誘導に従って、緩やかな坂を下った。ビデオカメラ係らしき痩せ型の男がこちらを撮影するそぶりを見せながらしつこく付いてきて、30メートルほど歩くとようやく戻っていった。

 「おかしいじゃないですか。ヘイトスピーチですよ。法律もあるでしょう。なんで僕が離れなければいけないんですか。なんであの集会を守るんですか」

 僕は歩きながら機動隊員たちに問うた。隊員たちはあまり意味をなす返事をせずに、僕をなだめるような態度。いやいや、怒りを感じる僕が悪いの?

「殺すぞ、って言ってたじゃないですか。あの男たち、朝鮮人殺すぞって言いまくってましたよ。僕に対して、僕につかみかかろうとしながら殺すと言ったわけだし、ビデオも撮られたかもしれません。あんなもの、現行犯逮捕してくださいよ!なんで僕を引き離して、あの男たちはお咎めなしなんですか?」

 いくら抗議しても、「まぁまぁ、落ち着いて」という態度しか取らない。一体こいつらは何なのか。まぁ率直に言って頭がおかしいなと思った。

 200メートルほど歩いて機動隊員に別れを告げ、深呼吸し、警視庁麹町署の加入電話にかけた。「九段下交差点でヘイトスピーチをしていた。抗議したら殺すぞと言われた。なぜ警察はあの連中を守るのか」と問いかけたが、「警備に忙しい」「状況がよくわからない」「そうですか」「あとでカウンターという集団も来るんじゃないですか」という反応。

 僕は別に、本気であの男たちを逮捕させたいわけではなかった。それより、こいつら警察が「トラブル防止」的なしょうもない建前にしがみつきながら、ナチュラルに差別する側を守ることがどうにも許せないと思った。

 一切を諦めて、電話を切った。

 この許せない感情、諦めの感情は差別者や警察だけに感じたものではなかった。通りかかった誰もが抗議すらせず、僕が声を上げても誰も味方しない。これが大半の日本人たちの態度なのだ。そういう深い諦めを感じた。僕は脱力し、スマートフォンをポケットにしまい直して、縁石に座り込み、少し思考を巡らせた。

感想:最もショックだったのは

 まぁ「殺すぞ」とは言われたが、あんなゴミみたいな連中に一方的に殺されるほどヤワではない。数の力でイキって、ふざけやがって。まずはそう考えた。あとは、「魂引っこ抜くぞ」という意味不明の脅し、あれは一体どういうことだろうか。そんなこと可能なのだろうか。とか。

 他にも「出て行け」「ゴキブリ朝鮮人」など様々な攻撃を受けたわけだ。しかしそうした罵倒よりも、僕が最もショックだったのは、

「てめぇ、在日か!」

という彼らの反応だった。

「ヘイトスピーチじゃないか!」に対して、すぐ返ってきた返事が「てめぇ、在日か!コラ!」である。これの何がショックかって、その通りであることだ。

 その通り、僕は在日コリアンである。そんなこと、あの連中に一切申し出ていないのに、一瞬にして「てめぇ、在日か!」と言われ、それが当たっている。

 的確なのだ。彼らが当たり前に持つ共通認識と、現実の状況がぴったり一致しているということだ。

 つまりこういうことである。

――「ゴキブリ在日朝鮮人」とヘイトスピーチした時に、抗議してくるような奴は在日だ。

言い換えると、こうである。

――「ゴキブリ在日朝鮮人」とヘイトスピーチをしても、日本人であればそんなことは気にしない。

もっとはっきり言えばこうなる。

――日本人は在日へのヘイトスピーチに抗議をしないし、たしなめることすらしない。公に問題視しない。

 彼らは一部の過激なグループ、では全くないのだということ。交差点を歩いていて抗議も何もしなかったすべての人たちと、はっきり通じ合っていると思った。お互いにはっきりと的確に、わかりあっているのだ。

 彼らだけが特殊なのではない、という現実が明白にわかった。彼らはある意味で、日本人の大半にとって正しいのかもしれない。正しいから、あんな場所で堂々とヘイトスピーチができて、僕のような青筋立った在日以外の誰にも抗議されず、警察に守られているのだろうと思った。

総括:それだけのこと


 その後、九段下の周辺だけをぐるぐる三周くらい歩いた。

 もう一度あの交差点に訪れれば、僕はもう我慢できないかもしれなかった。連中と乱闘したっていい。そんな考えが頭をよぎったため、いや、そんなことで逮捕でもされたら親族一同に申し訳ない、もうやめよう、頭と体を冷やそうと思った。

 ふらふら近くの喫茶店へ入り、時間が過ぎるのを待った。アイスコーヒーの味はおろか、どんな名前の店の、どの席に座ったかを一切覚えていない。午後の仕事をほとんどすっぽかし、ゆっくりと職場に戻った記憶だけがある。


 そういうわけで2年前、終戦記念日に、僕は靖国に行くはずだった。でも辿り着かなかった。ただそれだけのことであり、それがすべてだと思う。それがこの世界の、この国の、この社会の、みんなの、僕の、あなたの、すべてに過ぎないと思うのだ。だから手記として、ここに残しておく。

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