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フツーにみんなが歴史修正主義者じゃなければ、仲良く生きたいのに

 歴史修正主義という亡霊が列島にはびこって久しい。特にこの十年で日本社会のムードは大きく変わってしまった。かつての大日本帝国の侵略行為を美化し、当たり前に歴史的事実である略奪、虐殺、連行、性奴隷、人体実験、無差別爆撃などを否定しようとする勢力が伸長した。

 そうした勢力は国家の中枢と近年密接につながり、プロパガンダを繰り返した。その結果、もはや一部の活動家だけでなく、一般国民の多くがナチュラルに歴史修正主義、、というか歴史歪曲思想に引っ張られつつあるようだ。

 僕は在日コリアン4世だ。人生を楽しく、みんなと仲良く生きたいといつも願っている。そう願って生きてきたし、それなりにそうしてきた。でも、この社会状況ではもう無理だよ…。

みんなと仲良くしたいです

 在日コリアンは戦後日本社会の代表的なマイノリティだ。紆余曲折ありながら世代を重ね、僕は父方から数えて4世になる。在日にとって戦後を通じ、マシになったことも随分あるだろう。母国で生活を奪われる体験、連行、炭鉱労働、朝鮮の分裂、闇市、屠殺、怪しい自営業か反社か死をえらぶ、みたいな生き方をした一世二世は苦しかっただろう。僕の親のちょっと上世代くらいまでは、在日だと大企業や財閥企業にめったに入れないなど、今よりもう少し明確な就職差別があった。

 なおも戦後処理や戦後日本のシステムについて思うこと、納得いかないことは色々ある。だけど、政治的なことはひとまず棚上げして、みんなと仲良くするくらいの世俗性が僕にはあった。ある程度そうやって生きてきた。勉強もスポーツもできて、文化祭でバンドもラップもやったし、優秀な大学を出たし、大企業に入って個性のある仕事で一応は成果を出し、飲み会でもユーモラスな盛り上げ役になれるし、女性とはそれなりにセックスしまくった。浮き沈みありつつもここまでの人生30年あまりを通じて、まぁまぁフツーに慎ましい人気者で、楽しい日々だった。

もうだめだ 頼むからやめてくれ

 しかし、もうだめだ。そんな牧歌的な人生は束の間の、短い短い夢だったように感じる。一般の人々までこんなに歴史歪曲ムードに染まってしまった今、フツーに楽しく生きるのは難しくなった。一般人が歴史歪曲の頭おかしいナチュラル極右またはその予備軍が多勢を占める世の中で、在日としてまともに生きてたら、こっちまで頭がおかしくなるからだ。彼らと衝突しないためには彼らにおもねって、彼らの言うオルタナティブな事実(捏造)に手をスリスリして生きていかなくちゃならない。精神的にもたない。

 なぁ、頼むからみんな歴史歪曲をやめてくれ。イデオロギーがどうこうとかいう話ではないんだよ。保守とか革新とか愛国がどうとか、それ以前なんだよ。事実を事実としてフツーに認めようよ、という極めて穏健な話をしてるだけなんだ。僕たち在日の由来そのものに深く関わる、大日本帝国がやらかした歴史的事実について、改ざんしたり否認したりして開き直るのはやめてくれ。事実を腐った感情で歪めないでくれ。防衛ラインをここまで下げるから、もうお願いだからやめてくれ。

 今の状況では、ふだん、日本人たちと接していても、疑心暗鬼にならざるを得ない。だってもう大衆の大半は歴史歪曲に染まって、歴史の事実を否定しつつ、僕ら在日を蔑んだり恨んだり攻撃したり、あるいはそれらを黙認したりするような連中なんだろ。いや、そうなんだよ実際に。

 誰を信頼すればいいんだよ。一部の信頼を置く旧友以外との付き合いはほんとに慎重にというか、おびえながらせざるを得なくなった。注意深く初対面の日本人の思想を見極めるようになった。いや、本当は他人の思想なんてさして興味がないんだけど、そうせざるを得なくなった。僕は通名生活なので、昔からなるべく「自分は在日です」と早めに伝えるようにしてきたが、より強くそれを心掛けるようになった。なんなら自己紹介か二言目には言わないときつい。ちょっと仲良くなってから嫌な気分になりたくないんだよ、つらすぎるからさ。というか実際そんなつらすぎることばかりだ。女の子を口説いていてもそんなことが前よりずっと増えた。気が触れそうだ。もう限界だよ。

いつか終わるのか?

 この集団ヒステリーはいつか終わるのだろうか?

 終わるという見立て自体が、かなりの希望的観測だ。しかし、その希望的観測の先にあるシナリオにも、どのみち希望はない。絶望しかないんだよ。

 だって、たとえば十年ニ十年後にけろっとした顔でこのヒステリーを日本人たちが終わらせてくれたとするじゃない。でも、僕らはそんな人々を、もはや信頼できないよ。

 いくら後から変節されても、今やってくれたことはノーカウントとかにならないよ。ここまで歴史歪曲がはびこってしまった以上、僕は同時代の日本の大衆とは二度と精神的に連帯できないよ。今こんなふうに僕らを追い詰めた人々が、「やっぱりや〜めた」と何の責任も取らずに言ったとしても、もう仲良くなれないよ。なれるとしたら、今はまだ成人してない世代以降の人々だけ。今の子どもたちと、未来に生まれる世代だけ。同時代は僕の人生にとってブランク・ジェネレーション。論理的にそうなってしまうよ。

望んで決別するわけではない

 こうなると、僕の人生は、大衆と決別するしかなくなった。決別方法はいくらかのレベル、いくらかの選択肢があるだろうけど、いずれも望んでそうするわけではない。僕はフツーに日本社会の公立校で育ったし、在日の知人が親戚以外少ないのだが、きっと同じような心境に陥っている在日はたくさんいるはずだ。

 この先、在日コリアンをめぐる状況に関して、目に見える変化が起きたり、これまでなかった案件や緊張状態が発生したりする可能性が、大いにあるだろうよ。しかし、これだけは覚えておいてほしい。ここにはっきり書くから、読んだ人は忘れないでほしい。

僕たちは、望んで大衆と決別したわけではない。

フツーに大衆とともに生きたかった。

まじめに、穏やかに、仲良くしたかった。
それだけだったのを忘れないでほしい。あなたたちが、これをやめてくれなかったんだから。

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