【詩】 チェインギャングの側に
チェインギャングを聞いたとき、僕は「自分の存在」が別に他にも居る気がしてならなかった。
「死」さえも意識したほどにこみ上げる「何か」があるのだと思った。
確実に僕の「チェインギャング」の側には「死」が存在していた。
今もだ。
この曲をライブで聴いたとき、「自分の体はひとつしかないのか」「自分が死んだらこの体はどうなるのだろう」と脳が勝手に考えていた。
結局、考えはまとまらずに体だけが宙に浮いている気がしているまま終わった。
そして、今も尚、感じる「死」や「生きずらさ」というものに僕の「チェインギャング」は存在している。
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