熱量銀行(第1話~第5話new)

第1話:口座開設

「あなたの熱量、大切にお預かりします。放出ロス無し!0.1度からOK!」

そんなネット広告を見つけたのは、カップ麺の湯気がもうもうと立ち込め持ち上げた途端に冷めてしまうような寒い日だった。

木造アパートの冬は寒い。電気ケトルのスイッチを入れコタツに戻り、SNSに流れるニュースを何となく見ていた。
その最下部にその広告は表示されていたのだ。

変なサイトに飛ぶのではないかとも思ったが、おかしなことがあれば通報してやるという気持ちでそのバナーをクリックした。

と、同時にカチッと電気ケトルのスイッチが戻った。サイトが表示される間に沸いた湯をカップ麺に注ぎ、どれどれとスマホの画面を見る。

熱量銀行、という文字がページのトップに大きなゴシック体でシンプルに表示されている。

ページを下へ進めると、次のように説明されていた。

寒さ・暑さでお困りではありませんか?夏に感じる暑さを冬にとっておけたら…冬に感じる寒さを夏に使えたら…当行なら体感温度の預熱が可能です!
突然の発熱の際のご預熱、または一時的に発熱したい時にも1度(体温計での1度に相当します)から引き出せます
スマホアプリから24時間出し入れ可能
口座開設・手数料完全無料(ただし体感温度に限り、体温預熱は別途手数料がかかります)

おいおいスマホからどうやってそんなことできるんだよ、とフタの上で温めておいた液体スープを絞りながら思わず笑ってしまった。
そんなことが本当に可能なのか。

麺をすすり、怪しいと思いつつも興味半分で、でももしできたらいいなというアホらしいが微かな期待と好奇心が顔をのぞかせ、登録画面に進んだ。

住所、氏名、電話番号、メールアドレスとスマホの機種を登録する。

あとはSMSで送られてきた設定用のパスワードを所定の欄に入力し、認証するだけであっけなく済んだ。

口座の開設ありがとうございます!
熱量の出し入れに便利なアプリはこちらからダウンロードできます

個人情報を引き抜かれて終わりという可能性もあったが、アプリのダウンロードをクリックすると公式ストアの画面が開いた。導かれるままアプリをインストールする。もうここまできたらとことん付き合おう。
温度計と天秤を足したようなデザインのアイコンが画面に追加された。

ポップアップが立ち上がり、熱量(ただし単位はカロリーやジュールではなく℃を用いている)を出し入れする専用の機器が一週間以内に送られてくる旨が表示された。

専用の機器は充電端子の部分を利用して使えるらしい。スマホの機種を選択すれば端子に合うものを自動で配送するとのことだった。
この専用機器が高くて機器代を請求される詐欺なんじゃないか?と思ったが、費用は一切かからないと明記されていた。

いぶかしさを抱きながらも、すっかりぬるくなったスープと伸びきった麺の欠片を最後まで飲み干し、心のどこかで胸が高鳴ってしまっている自分が居た。

第2話:ディグリード

その週の土曜日の15時過ぎ、その機器は届いた。
思っていたより小さく、メール便での配送だった。

晴れてはいるがやはり今日も寒い。
借りていたDVDを返しに行ったついでに、値下げ中の牛丼屋で遅めの昼飯を取って帰ってきたところでポストに入っているそれを見つけた。

送り主は熱量銀行、住所は…鳥取県だった。先日の雪のニュースにもあったように、寒い地域での需要があるからだろうか。
熱の出し入れなんてことが本当にできるのであればという話だが。

つけっぱなしだったこたつに潜り込み、緩衝シート内蔵の封筒を開ける。
スマホの充電コードにイヤホンのような機器が接続されていて、耳に引っ掛けるタイプのイヤホンのようになっている。コードの途中には音量調節のようなプラスマイナスが描かれた部品が付いている。何に使うのだろうか。
添付の説明書にはQRコードが載っていた。アクセスし、ブックマークするよう書かれている。

QRコードを読み取りアクセスすると、自分の名前(口座と同一のものを入力するよう注意書きがあった)とパスワードとして数字4ケタを入力するようになっていた。

パスワードか…ちょっと考え、実家の猫のゴロウから0560と設定した。猫、寒がり、熱という連想から忘れないだろうと思ったのだ。

入力すると、マイページだという萌黄色の画面が表れた。

残熱照会

お預け入れ

ご使用

表示されている項目はシンプルだった。『残熱照会』を試しにタップしてみる。

現在お預け頂いている熱量はございません

なるほどそれもそうだ。

『お預け入れ』を開いてみる。

ディグリードを接続してください

ディグリード?ああ、あれのことか、と例のイヤホンみたいなものをスマホに繋ぎ、説明書の図のように耳にそのディグリードとやらをかける。左右はどちらでもいいようだ。

読み取り中の表示が5秒程続いた後であろうか、ページが切り替わった。

現在の体感は基準値より低いためお預かりできません

確かにこたつに入って暖をとっている時点で熱に余裕などない。

よく見ると「基準値の設定:27℃」となっている。この部屋はこたつの外で考えたら10℃くらいだろうか。足は暖かいものの、肩や背中は確かに快適とは言えない。

預けるにはまず暑さを感じる状態になる必要があるのか。

「久々にスーパー銭湯でも行くか」
この機器を手にしてもなおまだ疑わしさを拭いきれなかったが、風呂に浸かるいい口実になった。

ここまで手の込んだ詐欺があったとしたら面白い。むしろギリギリまで乗ってやろうじゃないか。ああ、でももしかしたら。

「モニタリングだったりして」

タオルなどの風呂セットをまとめるべく、スイッチを切ってこたつから這い出た。

第3話:湯楽町

「う~寒っ」
まだ夕方4時過ぎとはいえ既に陽が傾き始めた1月下旬、風呂で温まるには申し分ない。

バイクのキーを回し、チョークを引いてエンジンをかける。この寒さでバッテリーが上がっていないことに安堵する。
こんな時はやはり車が欲しいな、とも思う。

10分ほど走りスーパー銭湯『湯楽町』に着く。体はすっかり冷えきった。
ここには3年前就職で今のアパートに引っ越してきてから間もなく、彼女が訪れてきたときに一度だけ来たっきりだった。

バイクで10分という距離が微妙に遠く、1200円という入浴料が日常的に利用するには高いのだ。

その時のヘルメットは今はもうない。

この寒さのせいか駐車場は満車に近い状態だったが、二輪車専用の駐輪場は空いていた。

券売機で入浴券を買い、カウンターでロッカー用コインと引き換える。
『男』と力強く字体で書かれたいかにも風呂というのれんをくぐり引き戸を開けると、湿気を帯びた温かい風呂の匂いに包まれた。

荷物と服をロッカーにしまい、浴室に入る。車の台数に比べて人間はそれほど多くなかった。幸い芋洗い状態にならずに済みそうだ。
大風呂やジャグジー、サウナなど5つの風呂があり、その中のひとつである日替り風呂は赤ワイン風呂だった。

元を取るというつもりはなかったのだが、一通りの湯を堪能した頃にはすっかり体の芯から熱が湧き出るのを感じた。足元が少しふわふわするのはワイン風呂で皮膚からアルコールでも吸収したのだろうか、帰りの運転に支障はないかと思ったが、どうやら湯当たりしてしまっていたようだ。
そもそもそんなアルコールが影響するような入浴を提供するはずはないのだが、のぼせて思考力が低下してしまっていたのだろう。

裸で倒れては恥ずかしいぞと水飲み場で冷水を飲み顔に当て、その心地よい冷水で気を取り戻した。

最後にぬるめのシャワーで滲んだ汗を流し、1200円の風呂を満喫しきった。扇風機の風が心地よい。

着替えのTシャツ一枚で休憩室のあるフロントに向かう。芯から温めた体はまだじんわり熱を持っている。バイクで来ているためにビールが飲めないのが残念だった。

代わりに冷えたコーヒー牛乳をゴクリと喉に流し込む。

柔らかな椅子と風呂上がり独特のほくりとした心地好さにしばらく惚けていたが、慌てて本来の目的を思い出し例のディグリードを接続しアプリを起動する。

機器が小さいのは便利でいいなと改めて思った。
イヤホンのようになっているのも目立たない。なかなかよく出来ていると妙に感心してしまった。

『お預け入れ』をクリックすると、どのように計算されたか分からないが

3.8℃お預け入れ可能です

と表示された。
たったそれだけか、とややがっかりしたが、とりあえず3℃入れてみることにした。
冷たいコーヒー牛乳を飲んだのは失敗だったかもしれない。

よくある確認画面が表示され、『確認』をタップする。

何だ、何も変わらないじゃないか

と思ったその時、すっとさっきまでの暑さが引き、もう一枚上に羽織りたいくらいになった。

…これはうまく預け入れる量を考える必要があるな。

結局、家に帰るまでに身体が冷えることを考え、もう一度風呂で体を温め直すことにした。
今度はすぐに服を着込みバイクにまたがった。フェイスガードの隙間から入る風はやはり痛いように冷たい。

夏に登録できてたらよかったのにな、などと考えながら、すっかり暗くなった道をコートに身を包む人々を横目に見ながらアパートに戻った。

第4話:シュウさん

「あ、ご新規さん」

作業中のタブレットの画面に、ディグリードの発送指示が通知された。

「寒がりさんかな?暑がりさんかな?この時期の登録だとやっぱり寒がりさんかなぁ」

喋りながらも手は既に発送準備を進めている。もう慣れたものだ。

該当機種に対応するディグリードを保管ケースから取り出し、発送用の封筒に入れる。

専用のシールプリンタから宛名と管理用バーコード2枚が印刷されたシールを打ち出し、宛名シールはディグリードの封筒に貼る。

管理用バーコード1枚を顧客管理シートへ貼り付け、残ったもう1枚のバーコードはディグリードの出荷台帳に貼り付ける。

最後にバーコードリーダーで2つのバーコードを読み込み、貼り間違えがないこと確認したら準備OK。あとはディグリードをポストへ投函するだけ。

これが私の仕事。

去年の春、私は大学を卒業した。無職だった。

就職先が決まっていないわけではなかった。内定が決まっていた旅行会社が入社2週間前に倒産したのだ。

それを知った時、私はベトナムのハノイに居た。最後になるかもしれない長期の一人旅としてベトナムを縦断していたのだ。屋台でごはんを食べてホテルに戻りWiFiをつないだ直後、お詫びと共にその嘘かと思うようなメールが届いたのだ。

格安で取った航空券は日程変更ができなかったし、今更どうしようもないという我ながらどっしりした根性で、半ばヤケになりながら残りの滞在を楽しんだ。

「みんなはあれからどうしたのかなあ」

ジャリジャリ固い部分とシャーベット状になった雪が入り混じった雪道を歩きながらふと思い出す。

その春入社予定であった者は私の他に3人居たが、他の内定者と連絡は取っていなかった。なんとなく自分と同じような雰囲気の子が多かったように思う。

内定者懇親会という名のオフィス見学会ちょっとした顔合わせはあったものの、「LINE交換しましょう!」という提案は誰からもされなかった。

大学時代住んでいた家は旅行前に退去住みだった。その分の家賃も旅費に充当したかったからだ。

帰国してから出社までの数日は実家に居るつもりだった。しかし『無職』というレッテルを貼られることになった自分にとってただ家に居るのはきつかった。

両親は「ゆっくり探したらいいよ」と優しく言ってくれたけれど、近所に小さい頃からの顔見知りが多い実家には居づらかった。

新しい部屋は既に契約していたため、今から解約しても1ヶ月分の家賃は発生してしまうとのことだった。不動産屋さんは申し訳なさそうにすみませんと言ってくれたけど、「住まない」のはこっちだよ、と心の中で毒づいてしまった。

「せっかくだから新しい部屋を拠点にして、1ヶ月くらい向こうで就職活動するね」

と、実家を出た。幸い家具付きの部屋にしていたので、薄い布団だけ送れば生活はできた。

ただ、新卒社員ぽい子たちがまだ真新しいスーツとバッグで歩いているのを街中で見るとさすがにヘコんだ。私もそっち側だったのに。

そんな時出会ったのがシュウさんだった。

ヘコんでばかりもいられないため、一応就活イベントにも参加していた。就活サイトでも再度探し始めた。

元々例の旅行会社もようやく決まった程度の人間であり、手応えは薄かった。そこへシュウさんからのスカウトメールが届いたのだ。

そのメールは就活サイトを経由しておらず、直接私のアドレスに届いた。銀行業とのことだった。少し不思議に思ったものの、メールの内容に怪しさはなく時間だけはたっぷりあったのでとりあえず話を聞いてみようと思った。

念のため、待ち合わせは人目の多いスタバにした。

シュウさんは営業さんっぽい普通の、いや感じのいい人だった。ただ、会社が普通じゃなかった。

弊社では熱量、人の感じる温度をお預かりするサービスを行っております。銀行の温度版のようなものです。

だいたいの方はこれを初めにお話すると怪しいと引いてしまうのですが…ベンチャー企業で現在人材を募集しております。

お仕事の内容は資材の発送と顧客管理がメインです。在宅でできますので、時間の自由が利いて長く続けられるお仕事です。

弊社の社員は在宅が多く、その分オフィスにかける経費を削減できるので家賃を全額補助しています。

提示された条件はそれなりに良いものだった。ボーナスは業績によるとのことだったが、月給については入社予定だった旅行会社より低いものの家賃を払わなくてよいことを考えると遜色ない。

ただひとつ条件があった。それは勤務地が鳥取であること。

なんでも各地に拠点を置いていて、ちょうど鳥取に空きが出るとのことだった。仕事用の資材も既にその部屋に備え付けられているため、そこに住んで欲しいというのが条件だった。

今の部屋はもう2週間もしないうちに引き払わなければならず、私にとってとても都合のよい話だ。

今思い返すとものすごく怪しい話に思えるのだが、私は雇用契約書にサインした。

翌日には引っ越しの準備を始め、その次の日には鳥取の家に住み始めた。両親は驚いていたけれど、就職が決まったことに喜んでくれた。

『熱量』銀行であることは伏せておいた。

ポストにディグリードを投函した帰り道、ローソンで肉まんを買った。湯気がもうもうと上がる。肉まんに酢醤油が付くことに最初は戸惑ったけれど、今はこれが無いと物足りない。

「んー、肉まん食べてもやっぱり寒いなあ」

スマホのアプリを起動し、『お引き出し』で1℃引き出す。初めは半信半疑だった。詐欺に加担することになっていたらどうしようと不安になったけれど、使ってみたら本当に『預熱』できて、すごく画期的なシステムだった。

鳥取の夏は思いの外暑く、その時にたっぷり熱量を貯めておけた。おかげでこんな寒い日でも快適に過ごせている。

仕事も土日祝日は基本的に発送しなくていいし、17時以降の登録は翌営業日の午前中処理に回していいことになっている(夕方以降郵便の集荷がないからだろう)。

しかも会社が用意していたのは一軒家だ。

「ただいまー」

ドアを開けると「ニャア」とポプラが出迎えてくれた。

「起きてきたのーごはんー?」

ポプラは引っ越して1週間くらいでコンビニのポプラの裏で拾った猫。引っ越し先が一軒家だったし、飼っていいかな…?と思ってシュウさんに聞いたら少し間があってお許しが出た。ただ、お客様からのクレームにつながるから絶対に資材の部屋に入れちゃダメだよ!と厳重注意を受けた。

一軒家で猫と住めて寒くも暑くもないこの暮らしは快適だった。

「この会社で良かったよぉーポプラー」

「ニャー」

少し迷惑そうにするポプラに私は顔をこすりつけた。

第5話:計画

データは毎日リアルタイムで集積される。

人間の心理なんて簡単なものだ。思い込みに少し手を加えてやれば何とでもなる。

血液型占いや星座占いのバーナム効果のように、大切なのは準備行動だ。たとえ信じていなくても人間はどこかでもしかしたらという意識が潜在的に生じる。いかに周到に、疑いを持たせず、リアリティを出すかが最も大切なキーとなる。

問題はどれだけその程度を他者がコントロールできるかだ。だからこれを始めた。イヤホン式体温計は我ながらよくできたと思う。

もちろんクレームもあった。「温度を預けても何も変わらない、バカバカしい」と返却された。それでも何も問題にはなっていない。ディグリードのことはもう記憶の片隅に追いやられているだろう。人は自分が損も得もしていないことはさほど記憶に残らないものだ。提供を無料にしているのはそのためだ。

ただ面白いことにそんな人間にもわずかに体温に変化がみられた。おそらく意識がコントロールしていない潜在意識であろう。つまり「変わらない」と思っている人間でさえ脳は体温を司る中枢に指令を出し、変化を生じさせた。実に興味深い。

「早く誰か無茶な預熱してくれないかな…っと」

思わず声に出してしまったその言葉とともにカップに残ったラテを飲み干した。

続く

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