怪中時計

「その時計壊れてるヨ、でも飾るとイイヨ」

その懐中時計はいわゆるジャンク品だった。

それでもデザインがすごく気に入り、笑顔が印象的な露店商から言い値で購入した。

店主は壊れていると言っていたが、ネジ巻き式で動く懐中時計は巻いてやれば正しく時を刻んだ。

ただ、ネジをいっぱいに巻いて数時間で止まることもあれば1日近く機能してくれることもある。

やはり店主の言ったとおり何らかの不具合があるのだろう。

台中から帰国して数日、時計のネジ巻きの横に一部鋭利な装飾があることに気付いた。

というのも、ネジを巻く際に引っかけてしまい、プツッとにじむ程度の傷を人差し指の腹に付けてしまったのだ。

「毎回当たりそうになるのは不便だなあ」

そう思いながらもなぜかその時計に惹かれ、時計が止まってしまわないよう気が付けばネジを巻き続け、それはスマホを見るのと同じくらい習慣になっていった。

不便ではあるものの、ネジを巻くたびに「チキチキ」と規則的に鳴るその音もそのどことなく私を落ち着かせ、元気が出た。


懐中時計を使い始めてひと月ほど経ったある日。

私は初めてその時計を家に置いて出かけた。

友人の結婚式のためにいつもよりメイクを念入りにしていたために、思ったよりも時間がかかってしまい慌てていたのだ。

式は温かな気持ちに包まれる素敵なものだった。

ただ披露宴を終えて2次会を楽しんでいた最中、私の中で異変起きた。時折動きがぎこちなくなり、体が重いのだ。

慣れない靴やドレス、久々に飲んだアルコールのせいかと思っていた。しかしそれにしては思うように動かなすぎる。

それはまるで私の時間を操られている感覚だった。

「ねえ、なんか大丈夫?そんなに飲んだ?うち方向同じだから送ってくよ」

友人が申し出てくれた。

アルコールはそれほど飲んでいないはずだった。意識はしっかりしている。

最寄り駅は同じだが、彼女の家は駅からさらにバスに乗る必要があり家まで来てもらうには申し訳ない。

「大丈夫、ゆっくり帰るよ」と伝え、ちょうどよく来たバスに乗り込む彼女を見送った。

家までの足取りは重かったが、スローモーションのような世界を眺めながら何とか辿り着くことができた。

懐中時計はテーブルの上にあった。

そうだ、今日はネジを巻いていない。

案の定、不規則な秒針は今にも止まりそうにぎこちなく時を刻んでいた。

「チキチキチキチキ…」

突起に注意してネジを巻いた。やはりこの音が好きだ。

ネジを巻くと時計はまた活気を取り戻した。ずれていた時計の針もリューズを回して調整した。

懐中時計が時を取り戻すと、秒針の動きに合わせるように私の体も不思議と軽くなった。

その日はすぐに眠りに落ち、気付くと夜が明けていた。

まるでタイムスリップしたようだった。

きっと疲れていたのだろう。


その後、懐中時計を家に忘れる度に同じようなことがあった。

何かの病気ではないかとネットで調べたが、病院に行くときには症状はなく、症状が出ている時には行ける状態ではない。

ある日ふと、自分が重い体で家に帰ると置き忘れた懐中時計を巻きなおしていることに気付いた。

おそらく自分でも気付いていない疲労が時計の置き忘れにつながったのだろう。

ならばこの一致には合点がいく。


一度、懐中時計を落としてガラスに亀裂が入ってしまった。

雨の日にコンクリートの階段で滑り、鞄に付けていた懐中時計が階段にぶつかったのだ。

手を突いた際に全体重がかかってしまったためか、私自身も手首にヒビが入ってしまった。

懐中時計は時計店で相談すると買い替えを勧められた。しかしその気にはなれなかった。

ガラスの替えを時計店に探してもらい、2ヶ月後にようやく同様の型が入荷でき、交換が完了した。

その頃には私のギブスも取れていた。


「なんかその時計と一心同体だね(笑)」

骨折が治ったお祝いにと、カフェに誘ってくれた友人が茶化して言った。


その言葉に私は背筋が冷たくなった。

思い返せばまさにその通りのことが続いている。

もし時計が止まったら?

いや、そもそも買った時には時計は止まっていたし、帰国して使い始めてからも何度か止まっていた。

ふと懐中時計を見る。

帰国して数日後に付いてしまった血の跡は錆となりまだ残っている。

すぐに拭いたがどうしても取れなかったのだ。

思えばその時以来、完全にこの時計を止めたことはない。

「あ、パンケーキ来たよ!やばい美味しそう!」

「やばいね」

今も私はネジを巻き続けている。

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