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山②姉の病気


こんばんは。
今日もお疲れ様でした。秋です。
山②では姉の病気の事を語ろうかと思います。
母に見られたら怒られるかも知れません。笑
でも、私は他の方に同じように
なってほしくないと思ってるので伝えます。
少し暗いかもしれないので、
元気な時に見て下さいね。

5歳離れている姉のこと

 私には3歳離れている兄と5つ離れた姉がいます。

・家族の性格
兄は真面目だけど、たまにぽわぽわしています。
姉も真面目で完璧主義で負けず嫌いでした。
ヒーローみたいな存在。
母は優しいけど怒る時は本気で怒るので怖いです。
父は昭和のおじさんで、亭主関白です。
女は家庭育児、男は仕事って感じの頭の人。

姉は私が小学5年生の頃、
高校1年生の冬に亡くなりました。
病名は拒食症でした。



姉は高校生になって、バレーボールの強豪校に入学。レギュラーに入るために、自主トレなど頑張っていました。その高校は頭も良い学校なので勉強も頑張らないといけません。夜遅くまで勉強したり両立が難しい中、姉なりに人と比べて焦ってしまって、
"もっと頑張らないと…"と思っていたのかも知れません。

私が姉の異変に気づいたのは、夏ぐらい。
一緒にお風呂に入ってたとき。
姉の身体を見て、少し痩せてきているなという印象でした。
姉から「血流れてない?」と聞かれて、たぶん生理のことだろうと思ってました。きっとこの頃から生理が遅れたりしてたのかな。
「流れてないよ〜」と言うと、「そうか」と。
その時の姉の表情は覚えてないけど、それが姉と入った最後のお風呂で、合唱曲のbelieveをハモって
歌ってたのを今でも覚えています。


それから日が経つと姉は、ご飯の量を少なくしたり痩せ細った身体で夜走りにいったりしてました。
私は母に後をつけるように言われて、夜一緒に走った記憶があって、その時の姉の顔が別人で
「どうせお母さんに言われて来たんやろ」て
すごい怖い顔で言われました。


あんなに優しくてアンパンマンみたいな、
ヒーローみたいな人だったのに。
当時はただ怖いって思うだけでしたが、
拒食症や摂食障害は性格も変えてしまうんだなと、
大人になって思いました。

痩せすぎて学校に行けなくなった姉が入院して、
冬に初めて病院で会ったときの事は覚えてます。
両目は紙テープで塞がれてもう話もできず、
気管切開されていました。
話しかけるとモニターだけが動くだけ。
話しかけたけどこんな風になってると思えなくて、
小学生の私には正直辛かったな。

春を迎える前。
私は移動教室で苦手な算数の授業を受けていて、
ふと左の外を見ると1匹のモンキチョウが飛んでました。
ぼーっと見てたのも束の間、担任の先生が急に入ってきて、「早よ病院行け!」ぽいことを言われました。
少し半泣きで泣かないように、従姉妹の車にダッシュで乗った覚えがあります。兄も乗ってました。
その時車内で流れてたのは、
スキマスイッチのボクノートでした。
病院に着いたけど、私たちは間に合わなくて
お母さんに「ごめんな、助けられんかった」と
兄と私は抱きしめられ泣きながら言われました。

お葬式には父が公務員でその関係もあるからか、
100名を超える人が来てくださりました。
姉のクラスメイトはマイクロバスに乗って
来てくださりました。
姉の持ってる人間性はすごいなと思いました。

母は姉の病気を親戚以外には言わず、
ほぼまるまる1人で抱え込んでいました。
お葬式に来た、ママ友にはなんで言ってくれんかったん?と泣きながら言われたらしいです。

姉の闘病生活について

姉が亡くなった後に、
何回か少しずつ母から聞きました。

母が作ったお弁当も、
全部学校のトイレの中に流したりしてた事。
ご飯の量を測ってほしいと言われ、
測って出していた事。
バスの中で同級生が心配してくれていた事。
近所の人が車に乗せようとしてくれていた事。
学校に行けなくなって、私のDSどうぶつの森をして
自分の能力などを確認していた事。 
入院になるとき、「嘘つき」といわれた事。
入院してからも栄養になるから、点滴を抜こうとしていた事。
もう姉の身体が温かみもあまりなくて
トイレの自動電気が点かなくて、気を使って姉が入る前に母が入って点けていた事。
母が姉の摘便をしていた事。


姉からもう死にたいと言われた事。

母は人一倍しんどく辛い思いをしたと思います。
しばらくは見えないところで
泣いたりしていた母でした。
それでも"前に向かって進むしかないからね"と
母は私に言って日々を過ごしています。
そんな母にはほんと感謝しかないです。
兄と私もいい大人になって、
転職や異動になった今年の春。
母は、
「親は見守るしか出来ないけど、いつでも相談のるし、避難出来る場所でいたいなぁと思っています😘」
と連絡をくれました。
私は母のように、傷ついても傷つけられても手を伸ばせる人になりたいと思います。

父は、姉が亡くなってからしばらく経った日。
その日は会社の飲み会だったらしく、駅まで母と車で迎えに行きました。
車に乗るなり泣きじゃくる父。
「俺のせいで亡くなったんや、ほんますまん。」
と言うて、夜にお墓に行きたいと言い出しました。
私と母は霊的に怖くてほぼお化け屋敷の感覚でしたが、父はお墓の前に土下座したり、ごめんなと泣き喚いていました。仕事柄なかなか急には休めなくて、お父さんも診察に同席してほしいと言われても、行かなかったらしいです。


家庭の親の性格・家庭内の環境・学校生活も、
摂食障害に繋がる一因だったのかもしれません。
こころの病気でもあるので、
自分を愛すのが1番大切だと思います。
愛すのって難しいけどね。


仰天ニュースでも時々放送する摂食障害。
最近、LINEニュースで小学生の摂食障害が増えているという記事をみました。

もう、なんで成長期に痩せようと思うの??
周りが細いから気にしちゃうとかはわかる。
私も周りと比較してしまうタイプだから。
時々ストレスとかで便秘になって、
ご飯食べれなくなったりする時はあるけど、
大切な時期だからこそ食べれる時に、
しっかりバランス良くご飯を食べて栄養を摂って
ほしいと私は思っています。


周りとか気にせずに
生きるために自分のために食べてほしいですね。
私は食べ過ぎだけどね。笑
プリン大好き、オムライス大好き!!

今日も健康について投稿しました。
これは本当にあった私の家族の話です。
見て頂きありがとうございました🌱
ゆっくりおやすみなさい〜

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