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退屈な時間を金に換算するのは虚しいだけ

昨日の朝日新聞朝刊の読者投稿欄。
若い世代の投稿のなかから
気になるものを発見!

こりゃ、ほっとけない!

「遊ぶ時間を時給換算する友人」という題名。

大学生の女性の投稿なのだが
その友人が、遊んでいて退屈だった時間を
時給に換算して、いくら損したというふうに
話をするんだそうだ。

投稿者は、時間をお金の価値に当てはめて
語るのは何だか寂しいと。

そうだね、そう考えるのが健全だろう。

ちょっと遠回りして歩いた帰り道も
明日には忘れるようなしょうもない話で
語り明かした夜も私にはいとおしい時間
だと言っている。

こうした考え方がオレは普通だと思うし
まだまだ世の中捨てたもんじゃないなって。

「タイパ」を重要視する若者たちや
そのような風潮が、時間=金のような
虚しい考え方を生むのだろうが
世の中には、タイパやコスパ、生産性などでは
はかれないようなものがたくさんある。

楽しくなかった時間は損。
その損した時間があれば
これくらい稼げたのにっていうように
自分にとって損した時間だけが
恐らく金として換算するんだろうけど
これが癖になってしまうと
年を取ってからの人生が心配になるよね。

生きづらくなるだけだし
何よりも虚しい。

周りの友人も離れていくだろう。

タイパを気にするのが悪いとは言わない。
それを否定する気は毛頭ないが
金、金ってなるのはやめたほうがいい。

こんな先行きが見えない世の中だから
金、金ってなるのもわからなくはないがね。

時間と金に支配される人生は悲しいよ。

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