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お金はただの道具なのだ!

人によって価値観の違いってあると思うけど、お金って1番その違いが表れると思う。

「1番大事なものって何?」

って質問したら「お金!」って答える人半分くらいいる気がする。

いや、ちょっと待て。
お金ってそんなに大事か?

もちろん大事なんやけどそんなに大事か??

いわゆる金銭感覚っていうのは育ってきた環境が1番露骨に出ると思ってるし、正直僕は平均よりかは良い環境で育ってきたからその主観はありまくるという前提でさらっとこのnoteを見てほしい。



まず、このnoteを書こうと思った理由は僕が色んな人から金銭感覚がおかしいということを言われるからだ。

たぶんそういう人から金遣いの荒い金持ちだと思われているということは自覚している。

実際、なんの制約もないクラス会に出オチのためだけに1万円のマ○ドナルドの衣装を買ったり、1ボケのために2万円の服を買ったり、オンラインカジノで8万円溶かしたりしてるとそう思われても仕方ない。

でも僕の信じる俺一神教の下では決して荒い金の使い方をしているわけではないのだ。(俺一神教については以下のnote参照)


お金があれば何ができるのだろうか?

・美味しいものが食べられる
・好きな服が買える
・好きなところに旅行に行ける
・いい家に住める
・ゲームに課金ができる
etc...

これは人によってさまざまな答えがあるとは思うが、すべてに共通するのは、

何かと交換している

ということだ。

つまり、お金単体では何も価値を持っていない。
お金は何かと交換できるから価値があるのだ。

経済学とかあんまり知らないけどたぶんこれが資本主義の大前提やと思う。
けど意外と理解してない人が多いとも思う。


ここの『何か』に対する価値の感じ方の違いで金銭感覚のズレが起こる。

僕が多くの人と金銭感覚のズレが起こる理由はなんとなくわかっている。

それは多くの人がお金と交換された『モノ』そのものに重きを置いていて、たいていその『モノ』だけを見て価値を判断しているのに対して、僕は交換されたモノが生み出す『経験、知識、思い出、そのときの楽しさ』みたいな目に見えないものにめちゃめちゃ重きを置いているからだ。

上で挙げた実例で言うとマ○ドナルドの衣装そのものはマジでクッッッッソ無価値だと思ってるけど、そのときの会の雰囲気や記憶や周りの反応、「お前それに1万掛けたんかよ笑」とかで話題になることなどを考えると1万円の価値は十分すぎるほどあったと言える。

だからまったく無駄と思っていないし後悔もしていない。当時の自分もそのとき1万円を出すことにためらいはなかった。
逆に100円でも何の経験にもならず良い思い出も得られないような時は本気でケチる。


ためらうかためらわないか、ケチるかケチらないかは金額では決まらない。
お金よりもお金を交換した後の価値の方が大事なのだ。

結局お金はただの道具なのだ!




それでもやっぱりお金があるに越したことはない。
この資本主義の世界では何にでも化ける力をお金は持ってるから。

だけどそれ以上にお金を抱え込んで大事に大事に使わず置いておいてくだらない人生を送るよりもお金をいろんな経験や記憶や時間と交換して豊かな人生を送りたい。

特に若いうちは幸せな人生の記憶を刻むために使うお金は惜しみたくない。

どうせ何十年も働けばお金は稼げるわけやし絶対に今惜しむほどのお金ではない。

あなたが今ためらった1万円。
豊かな人生の思い出のために、思い切って交換してみませんか?


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