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『総務部長はトランスジェンダー』を読みました。

岡部鈴著『総務部長はトランスジェンダー 父として、女として』(文芸春秋)を読みました。

2018年6月に出版されたこの本、以前にも一度読んでいましたが、今回NHKドラマ化されるということで、再読してみました。

トランスジェンダーをテーマにした本は何冊もありますが、この本は著者の岡部さん自らの経験をノンフィクションでリアルに綴ったのが特徴。

読みやすいライトノベルのタッチでどんどんストーリーが展開されていって、気が付いたらのめりこんで読了している感があります。

NHKのドラマとしては、2018年の「女子的生活」のあとに位置づけられる期待作。

前作も“トランスジェンダー”について真正面から問題提起した作品として、SNSなどでもかなり話題になりました。

ドラマをみて「トランスジェンダーに対する理解が深まった」という人も多いでしょうし、「異性装をする切っ掛けとなった」という人も私のまわりでも多いです。

今回のドラマもムロツヨシが主演をつとめることなどで話題になっていますが、今の時代を投影した社会的テーマを投げかけたドラマとして、NHKの意気込みを感じますね。


私が気になった箇所を少し引用します。

人生において、性別を変えたい自分を発見するピークが二回あるという。一回は思春期、そしてもう一回は(意外に思われるかもしれないが)四十歳を超えた中年期だ。(P8)

まわりを見ていても、すごくリアルな見立てだと思います。声に出したり、行動に移すかどうかはともかく、好奇心や違和感や閉塞感を感じる人は少なくないですね。

これは思春期に「同一性」の獲得と拡散の葛藤を抱き、 40代以降の壮年期に「中年的危機」を迎えるという、エリクソンの心理社会的発達理論にも通ずるところがあると思います。


自由だ! 会社からも、家族からも、世間からも、全て解放されて、自分らしさを太陽の下で晒している。誰にも何にも縛られない。本当の自分。ありたい自分が、今、ここにいる。自分が自分として生きていることを再確認する時間。そんなひとときが私にとっては極めて心地よかった。(P50)

この感覚、私も実体験としてリアルにとても共有できます。異性装やある種の異性化によって、「本当の自分」と向き合い、自分の人生の意義を「再確認」する瞬間は、言葉では言い表せないほど幸せで心地よいものです。

この瞬間を、次なる経験としてどの方向に展開していくかが、おそらく人生の岐路になっていくのだと思います。


しかし、男でない生き方ができるかも知れないと思った時、心の中で大きく地殻変動が起きた。なぜ、ネクタイを締めなければならないのだろう。なぜ好みの服を着られないのだろう、なぜ女として出社してはいけないのだろう。何の思い入れもなかった自分のスーツがぼろ雑巾のように思えてくる一方、自分が女として出勤する姿も想像がつかなかった。(P102)

男だけがネクタイをして、スーツを着なければならない。
女はビジネスシーンでも、自由にオシャレを楽しむことができる。

これがある種の“差別”であることは、おそらく多くの人が心の奥底では感じて日々を過ごしています。
でも、決してパンプス論争のようには社会的に盛り上がることはありません。

それは、男社会のドレスコードやビジネスの常識は、男が男であることを示す「存在証明」として、暗黙のうちに力強く機能しているからですね。

この呪縛から解放されて自由になるためには、著者のように“向こうの世界”に行くしか手立てはないわけです。


そして人は、無意識による性別の判定と同時にその性別の妥当性もチェックしているのだ。いくら女性の服を着ていても、体型や顔が男だと、簡単に見破ってしまう。複雑な方程式のようなロジックで、瞬間的に判別し、性別の妥当性から外れた対象はエラー、つまり女装者としてリードするのだ。(P151)

一般的に男性よりも女性の方が感覚やセンスに優れているといわれますが、著者は男性が女性の服を着た場合の「パス度」を見抜く目線に関しては、男性の方が的確だと指摘します。

それが客観的に科学的にどうかはなかなか難しいテーマかもしれませんが、女性の方が多様なファッションや文化の受容性が高く寛容だということは、一般的にいえると思います。

男が生来持っている野性的な「選球眼」が、じつはパス度を脅かす最大のライバル。
トランスジェンダーの最大の関門が、同性の価値観や視線だということは間違いないようですね。


しかし、一つ疑問を投げかけるとすれば、その性別、ジェンダーと呼ばれるものは、絶対に変えることなく生涯背負い続けていかなければいけないものだろうか?
性別が仮に、社会において色分けされた名札のようなものだとすると、その名札が自分に合わないと思った段階で書き換えれば良いだけの話ではないか。
成長する過程で、その性別に馴染めないと感じた人間がいたのなら、そこで速やかに変えれば良いし、私のように、五十歳を目の前にして、このままの今の性別で死を迎えたくないと思うのであれば、そこで変えれば良いのだ。(P215)

そもそも性別、ジェンダーとは何なのか?
今ほど、この古典的なテーマが問題提起され、社会的に揺れている時代はないと思います。

ただいえることは、性別やジェンダーは絶対的に固定していて変わらないものではないけど、かといって絶対的に自由で変更可能なものでもないということ。

いわばこの間の距離感が時代や社会や文化によって変容していって、人間の活動もまたその中で大きな影響を受けていくということかもしれませんね。

ジェンダーはグラデーションだといいますが、それをどうとらえて、どう表現して、どう担っていくのか。この問題意識は、これからの時代ますますバリエーションが増え、可変性が高くなっていくような気がします。



3月21日からスタートする「三浦部長、本日付けで女性になります」

話題沸騰は間違いないですが、今からとても楽しみですね。また、私も感想をnoteしていきたいと思います。


学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。