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年のはじめの、中年の雑感

 ささやかな偶然の話をしようと思う。

 前にもnoteに書いたが自分は文筆家 吉川浩満さんのファンだ。(https://note.com/aki_20201012/n/n78864fea565f)『哲学の門前』でも、昨年の文学フリマでリリースされた『人文的、あまりに人文的』でも、滋養に富む文体は心の栄養だ。
 それで昨年暮れ、「吉川さんの手紙に返事を書いて(あわよくば)お返事をもらおう!」という鳥取県による(?)企画に、当然胸をときめかせたわけである。こうしてみちみちとnoteを書くくらいに自分は文章を書くのが好きだし。一ファンとして、何か日頃の思いを形にできたらな、と。

 しかし。
 返事を書こうとして、というか実際に書き始めて自分にがっかりした。吉川さんの手紙は、少年時代の鳥取の美しい星空に触れる内容だったのだが、

「自分は横浜に住んでいます。夜は明るく、見上げても星もろくに見えません。月ならよく見えます。月に向かって語りかけるのは孤独な想いばかりです。」

 …そこで止まってしまった。
 だめだ…こんな返事、星がテーマなのにいったいなんの厭がらせだ…と、我と我が身に失望して応募を諦めた。

 日々は去り、数ある応募者の中から選ばれたお返事には、若い人が素直に、美しい心を星に託して述べられていた。いわく、〈星がカウンセラーである〉と。

鳥取の星の美しさは、仕事で疲れ果てている身体に、寒い日の胃に入るコーンスープくらいしみわたります。その日にあった嫌なこと、次の日にある憂鬱なこと、頭から振り払いたくても振り払えないそんな身近なもやもやを、遥かかなたで瞬く星がゆっくりと溶かしてくれます。

星屑書簡 Re:#04 Nさん(鳥取県・20代)件名 星空相談室 より

 素直な言葉へと紡ぎ出された素直な心。そう思った。自分にも、そんな時代があったかな、と思い出す。まだ鎌倉の実家に住んでおり、横浜よりははるかに星空も星空らしかった。
 さて若い人のこの美しい心は、いかなるお返事を吉川氏から受け取るのだろう、と少々妬ましく思いつつも楽しみだった。

 はたして、氏からの返信は「途方もない遠さゆえの」というタイトルで、都内の夜空を取り上げたものだった。

当時は東京都北区の田端というところに住んでいました。午前零時を回った山手線の田端駅を降りて、都道458号という大きな道路を南下して住処にトボトボ帰ります。これが変な道で、元々は川だったのか、道路を通すときに山でも切り開いたのか、左右が高さ数メートルの石垣で囲まれていました。前を向いて歩いていると、左右には壁しかないので、自然と視線が上を向きます。このとき、東京都区内でも星が見えないことはないということを知ったのでした。

しかも、ちょうど今ごろの冬の季節の東京は雨が降りません(これは私が東京の気候で気に入っている数少ない点です。いま試しに気象庁で冬季の降水量を調べてみたら、東京は鳥取の3分の1以下でした)。星空の美しさは鳥取とは比べるべくもないとはいえ、それでも、都道458号の妙なつくりと晴れた空のおかげで、ほとんど毎日、相談室のお世話になっていたという次第です。

星屑書簡 Re:Re:#04 差出人 吉川浩満 件名 途方もない遠さゆえの より

 東京の田端、行ったことがないけれどおそらく横浜の夜空と大差ないであろう(鳥取のそれに比べれば)。「見えないことはない」程度の星空について、吉川さんが書いておられるではないか!

 ささやかな偶然による喜びから、青年期をとうに終え中年後期(老年初期?)へと向かう自分と、若い人との違いはなんであろうかとつらつら考えた。
 自分が若かった時、星の遠さに何かを仮託できたのは、すぐ近くの人間というものに無知であったからな気がする。最も遠いのは計り知ることのできない他人の心で、そういうものに取り囲まれて暮らしているのかと自覚した頃、星までの遠さは自分と無関係な、ただそこにある距離となっていた。印象的なタイトルのフレーズ「途方もない遠さゆえの」は、「人の心と人の心を隔てる距離のように」という好きな小説の台詞を思い出させる。
 星ほど遠い距離のもと、温かいコーンスープにも瞬く星にも溶かされることのない私の中のもやもやは、もはやまるで私そのもののようだ。後生大事にそれを抱えたまま、五十路の半ばをゆるゆると通り過ぎ、もっとずっと遠い彼岸まで歩いていけたらいいだろう。

 そんなことを思った時、心が少し温まった気がした。

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