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主観世界はコントロール可能か?

こんにちは。
今日は小難しい感じの疑問ですが、ぼくにとって1番考えてて楽しいタイプのテーマです。

まずはそもそもなにを問いたいのか、から説明していきます。


そもそもどういう意味?

問いたいこと

ここで言っている主観世界とは「自分の主観を通して解釈したのちに認識している世界」のことです。
逆に客観世界とは、あるがままの物質の集合体としての世界です。
つまり主観世界は普段自分が認識している世界のことで、客観世界は実際には認識することのできないありのままの世界です。
「いや、私はありのままの世界を見てるよ!」と言われそうですが、果たして本当にそうでしょうか?
例えば、目の錯覚を考えてみてください。2本の同じ長さの線を見ても、上の線が長いようににしか見えますよね?



つまり、「ありのまま」が認識できているわけではなく、ありのままの物質を脳内で解釈して認識しているわけです。

主観世界のモデル

ここで最初の疑問に戻ります。あくまで解釈なのであれば、主観世界は(つまり自分がどう捉えるかは)コントロール可能なものなのではないか、ということです。
極論を言えば、解釈を自由自在に操れば明晰夢を見るように、現実世界を生きられるんじゃないか、と言うことです。

解釈って?

では、解釈とはなんなんでしょうか。
辞書を引くと
“文章や物事の意味を、受け手の側から理解すること。また、その理解したところを説明すること。その内容。”
と出てきます。
解釈は多様です。同じ事象に対しても、様々な捉え方ができます。
例えば、「長時間労働」に対してであれば、
①長時間労働をすることはプライベートを犠牲にし、健康にも悪い。
②仕事の質を高めるには、量をこなすことが重要。特に若い時の長時間労働はすべき。
と考える人両方がいます。他にもいろんな解釈があるでしょう。
様々な解釈にはその人独自の考え方もあるでしょうが、様々な考え方の「型」があります。
①の考え方の型は「働き方改革」や「ワークライフバランス」といったものでしょう。②の考え方の型は「メリトクラシー」や「モーレツ主義」のようなものかもしれません。
そういった「型」の集合体が、イデオロギーです。
この考え方の「型」を自由に選択することができれば、どんな辛い事象や悲しいことにも対応していけるのではないかと考えています。

まずは反論

解釈は自由ではない

「解釈を自由自在に選択することで、主観世界を操れるのではないか」に対して、反論を考えます。
「解釈を自由自在に選択する」が間違っているのではないか考えてみます。
まずは考え方の「型」を3段階に分けて考えます。
一つ目は、「本能」です。生まれながらに備わっているもので、遺伝的な生まれ持ったものです。ビッグファイブと言われる
「外向的/内向的」 「楽観的/悲観的」 「共感力」 
「堅実性」 「経験への開放性」
の5つの性格の偏りは生まれ持ったものだと言われています。
※詳細は橘玲著「スピリチュアルズ」をご参考ください。

こういった生まれ持ったもの、が本能に含まれるもので、自身ではコントロールすることができません。
次に「幼少期の教育」です。親が持つ考え方の「型」の影響を大きく受けます。大人になってから変えることは不可能ではありませんが、常識として備わったものを変えるのは時として難しいこともあります。
最後は「自分で選び、摂取したもの」です。大人になってから、大きく影響を受けるのは「人、旅、本」だと言われます。
周りの人、尊敬する著名人、旅先での出来事からの学び、そうった経験を通じて、考え方の「型」を増やしていきます。

さて、「自分で選んだもの」としていますが、果たしてそれは本当に自由意志で選んでいるのでしょうか。幼少期の教育や既に摂取した考え方の「型」によって、新しく接したいと思う事象は制約されます。もちろん、環境による制約も受けており、あらゆる選択肢から、自分がよいと思うものを選べるというのは、現実的ではないと考えます。

私なりの結論

さて、以上より主観世界はコントロール不可能なのではないかと考えられますが、私の結論は違います。
私の結論としては、「主観世界は完全にコントロール可能なわけではないが、方向性のコントロールは可能と思われる。但し、極端な環境的制約を受けている場合はできないことも考えられる」というものです。
完全にコントロールしようと思うと、すべての考え方の「型」を理解した上で、なんの偏りもなく自身によい「型」を判断していく必要があります。しかしながら、すべての「型」を理解することも偏りなく判断することも不可能です。よって、完全なコントロールは不可能です。
一方で、自分が得たい考え方の方向性さえ理解していれば、同じ性質を持つ「人、旅(場所)、本」と接していくことで、自分の考え方の「型」を変えていくことができます。
自分自身で言えば、仕事ができるようになりたいと思い、そういった類の本を読み、ビジネスパーソンの話をたくさん聞いてきました。そういった積み重ねによって、考え方の「型」を積み重ねていくことで、自分の見ている主観世界は自分の望んでいるものに近づいたように思います。
但し、本能に反すること、つまり広義には自分の性格に反することはできませんし、あまりに過酷な状況で生きていると、そもそも自分が得たいと思う考え方と接する機会さえないということは考えられます。

まとめ

自分が普段考えていることを言語化してみました。曖昧で抽象的なことを表現しようとしているので、分かりにくくなってしまったように思います。
また、時間をおいて同じテーマで再考してみたいと思います。
ではまた。

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