20 日露戦争後の国際関係

本時の問い「日露戦争はアジアの人々にどのような影響を与えたのか。」

第20回目の授業は日露戦争後の国際関係についてを扱いました。日本が韓国を廃滅させたこと、南満州権益の経営を始めたことなどです。本時の問いは「日露戦争はアジアの人々にどのような影響を与えたのか。」でした。

韓国廃滅

日露戦争後、日本は韓国を滅ぼし植民地とします。教科書によっては韓国併合ではなく、韓国廃滅と表現することがあります。1905~1910年までを見ていくときには3つの時期に分けて理解をしていくと良いでしょう。韓国の保護国化、それに対する韓国の抵抗、そして韓国を廃滅の3つです。

韓国保護国化

1905年、ポーツマス条約でロシアは日本の韓国支配を認めました。これにより日本による韓国保護国化が進みます。ただ日本は日清戦争、日露戦争で清国、ロシアから日本の韓国支配を承認するという確認をとりましたが、他の列強が日本の動きをどう考えるのかという問題があります。そこで、イギリス・アメリカとも、日英同盟の改訂や桂・タフト協定によって日本の韓国支配の承認を得ます。このような準備をした上で、第2次日韓協約(1905年)を結んで韓国の外交権を奪い、漢城に統監府を置いて韓国の外交権を掌握しました。このことを韓国の保護国化と言います。

韓国の抵抗

これに対し、韓国皇帝高宗は、1907年にオランダのハーグで開かれていた国際会議に密使を送ります。しかし、列国からは無視されます。すでに韓国の外交権は日本が掌握している中で密使を送った高宗を日本政府は退位させます。ついで第3次日韓協約を結んで韓国の内政権を奪い、韓国の軍隊を解散させます。解散させられた元兵士は植民地化に抵抗する義兵運動に参加しました。以降、義兵運動は本格化します。

韓国廃滅

1909年、伊藤博文が韓国の民族運動家安重根に暗殺される事件がおこります。翌1910年、日本政府は韓国併合条約を強要して韓国を植民地としました。朝鮮半島の統治機関として朝鮮総督府が設置され、初代の総督には陸軍大臣の寺内正毅が就任し、軍隊と警察による武断政治をおこないました。

南満州経営

ポーツマス条約で、南満州に関するロシアの権益を日本が譲り受けます。その引き継ぎに関する条約を清国と結び、1906年、半官半民の南満州鉄道株式会社を設立し、関東州租借地(旅順・大連)と長春・旅順間の鉄道を中心に南満州の経営にあたりました。これに対し、欧米諸国は日本の東アジアへの勢力拡大を警戒するようになります。特にアメリカは南満州の鉄道権益に関心を示し、南満州の鉄道の日米共同経営などを持ちかけますが、日本は拒絶します。

日露戦争の勝利により万国対峙・不羈独立という国家目標を達成しましたが、列強からは新たなライバルの登場と警戒されるようになります。

日本は南満州権益の確保のため日英同盟の改訂、そして日露協約を結ぶなどして、満州権益を国際社会で承認させました。

日露戦争をアジアの人々はどのように見ていたか

授業の最後に資料を使って日露戦争の勝利がアジア諸地域に与えた影響について考えてもらいました。清国では憲法制定や議会開設に向けた動きが本格化し、ベトナムでは多数の留学生を日本に派遣して人材育成をはかります。このように日露戦争はアジアでの近代化に向けた動きを進めさせたという一面がありますが、一方でインドのネルーはアジアの一員である日本の勝利がアジアの人々を感激させたものの、その後の日本の行動は侵略的帝国主義の一員に加わるものだったとしています。

今日はここまでとします。

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