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23 産業革命(重工業)

本時の問い「明治期の日本経済にはどのような問題があったか。」

第23回の授業も明治の経済史を扱います。日露戦争前後の時期の重工業について、そしてこの頃の日本経済の特徴を学びます。本時の問いは「明治期の日本経済にはどのような問題があったか。」でした。

鉄道業・海運業

鉄道業は1881年に日本鉄道会社の成功をきっかけに会社設立ブームが起こります。教科書のグラフ「鉄道の発達」で確認しましたが、民営の営業距離数が官営を上回っているのが特徴でした。それが、1906年の鉄道国有法によって大部分が国鉄となったこともわかります。なぜ国有化されたのかは、桂園時代の時に学習しましたね。

海運業では日清戦争後、日本郵船会社が新航路を開設します。これについては前回の授業でインド産綿花を輸入するためボンベイ航路を開設したことを取り上げました。

鉄鋼業

次に鉄鋼業です。鉄の生産は銑鉄を生産する段階と、それを原料として鋼材を生産する段階の2段階があります。日清戦争後、軍備拡張や産業の発展により鉄の需要が高まります。そこで鉄鋼の国産化をめざして、日清戦争の賠償金で官営八幡製鉄所を北九州に建設します。

なぜ北九州なのかについては、石炭や鉄鉱石の供給地が近いという立地からでしたね。石炭はどこで?鉄鉱石はどこでとれたものを主に利用していましたか?

日清戦争と日露戦争の間に官営八幡製鉄所は設立されていますが、重工業の産業革命は日露戦争後です。なぜかというと、官営八幡製鉄所の生産が軌道に乗るのは日露戦争後でした。また、1907年に室蘭に日本製鋼所が設立されます。その他にも、三菱長崎造船所が大型鉄鋼船の生産を本格化させたり、池貝鉄工所が旋盤の国産化に成功したのも日露戦争後です。

日露戦争後の日本経済

日露戦争の勝利によって日本経済は一時的に良くなりましたが、1907年恐慌以降は不況が長引き、経済危機に直面しました。産業革命の進展により紡績業では綿花の輸入が拡大します。重工業で産業革命を達成したものの、国内の需要を満たすほどの生産力ではなかったため、機械類や鉄類の輸入も増加します。これにより国際収支は輸入超過の状況が続きます。金本位制の下での輸入超過は金の海外流出をまねき、金保有量に基づいて発行される紙幣を減らさなければいけません。これは物価の下落、つまりデフレを招くことにもなりました。通常物価が下がれば消費が増えますが、日露戦争後は戦後経営や内外債の返済などで非常特別税が継続されたため消費が拡大することはありませんでした。こうして不況が長引き、経済は危機的状況を迎えます。

長引く不況は力の強い企業への集中を招きました。そのような中で政商と呼ばれた三井や三菱は財閥を形成していきます。

今日はここまで!

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