お題「インドの大繁殖」

 人体に直接ネットワークが接続される様になってからというもの、街並みはその喧騒をさらに加速させていた。否、街並みだけを見れはそれは、とても質素なものだろう。喧騒を加速させているのは、街並みに追従するように投影される仮想現実だ。

 色とりどりの広告、看板の一つ一つに視線を合わせれば、テーマ曲やPVが再生され、公式HPが開かれる。どの広告類に視線を合わせなかったとしても、視界の隅には時計、チャット画面、検索ツールのタブ、マップ、ナビゲーション機能、エトセトラ。個人でカスタマイズ出来るとはいえ、常にこれらの情報が視界にちらついている。

 世界はとても騒がしくなった。

 軽快な音楽が耳につき、春樹はフォーカスを合わせていた広告から目を離した。
 広告のテーマ曲が止まり、より一層軽快な音楽が聴こえる様になった。
 春樹の設定しているテレトークの着信音とは異なっている。広告でも、着信音でも無いとすれば、今時珍しい路上アーティストだろうか。
 音の出どころを求めて、彷徨わせていた春樹の視線が、ある一角で止まる。
 「なんだあれ?フラッシュモブとかいうやつか?」
 「古いの持ち出してくるな……。昔のSNSまとめでしか見かけないワードだぞ」
 春樹の独り言に近かった言葉を、隣を歩いていた和樹は丁寧に拾い上げた。
 「最近そういう系のまとめ動画にハマってるんだよ」
 「ああ言った動画は、脳死で見るには丁度いいからな。気持ちはわかるよ」
 春樹の拗ねたような発言を流しながら、和樹もまた、ダンス集団に目を向けていた。 
 二人の視界の中では、二組の集団が踊り狂っていた。もっと正確に表現するのであれば、二組に分かれた集団が踊りながら懸命に何かを表現していた。
 曲調と、彼らの表情と、ダンス。その三つを組み合わせれば、絶対に告白を成功させたい男vs絶対に断りたい女のバトルのように思える。 
 「あれは、フラッシュモブとか、なんかのサプライズじゃないよ」
 和樹が訳知り顔で話し始める。
 「お前はあれを知ってるのか?」
 「ところで、春樹。お前、フィルターつけてるよな?」
 フィルター。
 人体に直接ネットワークが繋がるようになってからというもの、人類が対決する相手は細菌やウイルスによる生物学的な感染症だけではなくなった。コンピュータウイルスもまた、人体に悪影響をもたらす存在として名を挙げていた。
 かつて、人類はマスクをつけ、手指消毒をし、時にはワクチンを接種して感染症に罹患しないように予防を行っていたという。昨今は血液を巡回するナノマシンによってそれらの感染予防策は日陰になった。一方で、コンピュータウイルスに対しては、過剰なほどの予防に講じるようになった。
 うなじの有線接続ポートにつけるカバー。ポートを隠すようにそりたった襟首の高い防御アウター。生体ネットワークに直接インストールするウイルスバスター。それらを駆使して、コンピュータウイルスから身を守っている。それらの防御壁の総称が、和樹が口にした「フィルター」という言葉だ。
 「俺の仕事、知ってるだろ。国家公務員。
 機密情報が記憶からも取られないように、結構厳重なフィルターが支給されてる」
 フラッシュモブからの、フィルター。和樹の話の飛躍に少しついていけなかったが、春樹はそう答えた。
 和樹はそうだったな、と嗤いながら、「疲れたから座りたい」と言って近場のベンチに腰をかける。
 疲れるというほど、歩いてもいないが春樹もそれに倣って腰をかける。
 視界の中では相変わらず、例の集団が踊り狂っていた。疲れないのだろうか。
 「あれはな、最近出回り始めたウイルスの一つだよ」
 「踊り狂うウイルスってどんなのだよ」
 「なんでも、インド発祥らしい。脳の情動を司る部分とのつながりが強いみたいでな、感情が高まると周囲を巻き込みながらああなる」
 和樹はそう言って、集団を顎で示した。
 ダンスは終盤へと向かっているようだった。悲痛な表情を浮かべる男と、清々しいまでの笑顔が美しい女性の対比が美しく思えた。
 言われてみれば、内容は兎も角、ダンスのキレや勢いはインド映画そのものだった。
「巻き込まれた連中は多分、あの辺のフリーWi-Fiを使ってたんだろう。
 あのダンス集団にいなくても、接続してた連中全員に蔓延しただろうな……。
 こうなっちゃ、低所得層の国民病になるんじゃないのか?」
 和樹の言葉には、低所得層に対する差別の色はなかった。ただの事実事実に基づいた意見だ。
 フィルター機器は総じて高い。おまけに、悪質なプログラマ連中はフィルターの穴をどうにかこうにか抜けようと試みる。ウイルスとフィルターのいたちごっこが繰り広げられている。
 昨日まで高性能だったフィルターが、次の日には唯の塵芥になっていることも間々ある。
 低所得層からすれば、いつ使えなくなるか分からないものに何十万もかけることなどできない。廉価版の性能の低いものを手に入れるか、或いは何もしないかの二択。
 故に、コンピュータウイルスの殆どが、低所得層だけに感染する。
 今眼前で繰り広げられてる珍事も、一週間後には日常の風景と化すだろう。
 「それにしても、やけに詳しいな」
 「大変だった……」
 和樹は苦虫を噛み潰した表情で答えた。
 ダンスは終わっていた。ウイルスの影響で、無理に動いたのだろう。道路に突っ伏して、満身創痍といった状態で、ダンス集団の全員が肩で息をしている。
 「昨日、俺の会社でも同じことが起こった」
 屍のようなダンス集団を、まるで戦友を讃えるような目で見ながら和樹はそう答えた。
 「会社でって、フィルタ入れてないのかよ」
 「入れてたよ。お前のところほどじゃないが、それなりに性能が高いやつ」
 「じゃあ、なんで」
 「あのウイルス、有線だと、フィルタはあんまり意味をなさんみたいでな」
 昨日の出来事を思い出しているのだろう、和樹は疲れた表情を更に疲れさせていた。
 「仕事の時は基本的に、有線で会社のサーバーに接続して作業するだろう」
 春樹の職場でも同様に、有線で作業を行なって要るため頷く。
 無線よりも安全性、安定性が高いという理由で採用されている手段だ。
 おかげで、出社という忌まわしい慣習が現代まで残っている訳だが、会社サーバーへの直接接続以外では作業ができないため、持ち帰り業務というのは死語となった。
 「上司の一人が、自宅で有線接続でネットサーフィンをしていたら、あのウイルスに罹患。
 それに気づかずに、職場のサーバーに有線接続。出社した全員も、仕事のために有線接続する訳だから、当然みんな感染。
 別に、感染するだけだったら別によかったんだが、その上司がチャッカマン……、キレやすいやつでな。さっきも言ったように、あのウイルスは、強い情動を受けると活性化して感染者が踊り始める。切れた拍子にまず上司が踊り始め、怒られてたやつも踊り始め、周囲で聞いてたやつも上司への怒りを堪え切れずに踊り始め……。社員全員が踊り狂ったんだよ」
 「お前も踊ったのか」
 道理で異様に疲れを滲ませているわけだ。春樹の記憶では、この和樹という男は兎に角運動が出来ない。それがさっきの集団のように、踊らされていたとなればその疲労は常人の比ではないだろう。
 「ウイルス対策をになっている部署もブチギレて、キャリア……ウイルスを持ち込んだやつを特定したんだけど」
 「それが件の切れやすい上司って訳か」
 「そう、しかも、どうもAVから感染したらしくてな。
 ウイルス持ち込むわ、そもそも普段の行いがアレだわ、感染の経緯も経緯だわで非難轟々。最終的には、その上司を全員で取り囲んで踊り明かしたよ」
 「どんな儀式だよ」
 キレていた、と言っていたから恐らく、ウイルス対策部門もまた、踊りながら上司の所業を特定したのだろう。
 スーツ姿の成人たちが、輪になって一人の男を取り囲んで踊り狂う。
 和樹には申し訳ないが、想像するだけでも笑いが込み上げてしまった。
 春樹は、笑いの渦が決壊を起こす前に言葉を紡いだ。
 「それで、今はいいのか?」
 「一応。対策フィルタが高額とはいえ出回り始めていたから、社長が断腸の思いで導入してなんとか。それでも、念のため休暇と、データ確認、全員のウイルスチェックをしてからの業務再開だから、一週間は業務停止だな」
 一週間の業務停止は、会社としては中々手痛いだろう。だが、誰かが強い感情を抱くたびに踊り狂って仕事が止まることを考えれば、ここでの休業はとてもいい判断なんだろうと春樹は思った。
 それに、常に疲れ切っている友人が「一週間自由だ……」と咽び泣きながら喜んでいるのを見ると、それだけで十分な気がした。
 感涙に咽ぶ和樹は踊ってはいない。
 どうやら、ウイルスはきっちりと無効化されたようだ。そのことにも、春樹は安堵した。 

 ふと、また軽快な音楽が鳴り響いた。
 視線を巡らせれば、そこら中で様々な集団が踊り狂っている。
 インドは、着実に繁殖していた。

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