南アフリカの路上犯罪と、善なる人々

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ケープタウン近郊、テーブルビューの海岸からテーブルマウンテンをのぞむ(C) Akio Fujiwara 


​ 「やられたー。ハイジャックされた!」。台所で野菜を切っていると妻が駆け込んできた。「電話、電話。フライング・スクワッド(南アの緊急警察隊)」。そう応えた私も慌てたが、まずガレージ脇にある民間警備会社の「パニック・ボタン」を押した。
 すると、玄関に取りつけられたサイレンが鳴り始め、通報した近所の警察署からもほどなくパトカーのサイレン音が聞こえた。意外に対応が早い。
 南アでは交通事故も多く、年間死者数は日本とほぼ同じ1万人弱を推移している。1000人当たりの車の保有台数は日本の5分の1強に当たる121台。西部劇並の荒っぽさはこんな所にも表われている。だが、やはり日常の恐怖は90年代から増え始めたハイジャック、車強盗だ。
 在住5年近くになった2000年7月、やや緊張感が抜けていたころ、妻は初めて車強盗に遭った。南アで一番手軽な車、フォードのトレーサー1300を運転し自宅に戻る途中、黒人3人の乗用車が追ってきた。
 私たちが暮らす自宅兼支局はヨハネスブルク北郊外の住宅街の一軒家だが、隣には住宅を装った高級売春クラブがある。妻が「隣の客だろう」と、さして気にとめず、自宅前に停車すると、短銃を手にした若い男3人が降りてきた。
 「降りろ」。両手を挙げる妻は時計を無理矢理取られたが、3人は車2台ですぐに立ち去った。サイレンが功を奏したのか、車は直後に近所に乗り捨てられ、携帯電話とカーラジオ、わずかな現金を盗まれただけだった。
 幸運だったのは妻が誘拐されなかったことだ。身代金要求といった手の込んだ事件はまずないが、犯人の家で暴行され、体中を傷だらけにされ道路に放り出されるといった事件が相次いでいるからだ。
 96年1月には私も同じ目に遭っている。東部ダーバン近郊の貧民街ウムラジで車中、助手と地図を見ていたら、「カチャ」という音が聞こえた。脇を見ると男が銃を私の頭に向けている。一瞬「冗談か?」と思ったが助手が真剣な顔で両手を挙げたので、ゆっくりと表に出た。この時も運良く犯人はすぐに車を奪い立ち去った。
 バックミラーで常に後続車の顔をうかがう。ショッピングセンターでの駐車時には周辺に目を走らせる。96年以後かなり気をつけていたが、結局やられた。
 南ア人種研究所によれば、97年、5世帯に一軒が強盗など暴力犯罪に、200世帯に1軒が殺人に巻き込まれ、250人に1人が性的被害に遭っている。特にヨハネスブルクの犯罪は世界最悪レベルだ。
 人種別で見れば97年、白人、混血の17%が犯罪被害に遭ったのに対し、黒人は14%、インド系は11%とやや低い。91年まで正式に続いた人種隔離政策の「後遺症」と見る人も多いが、就職で黒人が優遇され始めた今も状況は変わらない。しかも、犯罪者の大半は歴史を知らない10代の若年層のため、「後遺症」と言い切れるのかどうか。
 ただ、高速道や住宅街を黙々と歩く黒人の脇を猛スピードで飛ばす白人の高級車という日常の風景には少々割り切れない思いもする。
 トヨタから日産、フォルクスワーゲン、メルセデス、BMWと南アには大半の自動車工場が揃う。販売台数が最も多いのは90年代からこの方常にカローラだが、日本と比べればベンツ、BMWの比率が高く、ポルシェも多い。
 「20年ローンで高級車を買う見栄っ張りが沢山いるため」(南アBMW社)という見方もあるが、貿易、証券取引、農業経営など金持ちの実業家が多いのも確かだ。
 都市は米国の郊外型に似た車社会のため、道路を歩くのは専ら黒人ばかりだ。それでも居住区を定められ自由に歩けなかった時代に比べれば、今ははるかにましだ。すし詰めのミニバスや道路脇の屋台や賭けトランプの車座が増え、旧白人街は年々アフリカ化していると言える。
 実際、95年当時と比べても高級車を乗り回す黒人の数が明らかに増えた。統計はないものの、道で交差する運転者を見れば一目りょう然。黒人中間層の数は急増している。
 南ア統計局による国内3万世帯を対象にした生活調査では、黒人世帯の電気普及率は96年の48%から99年には56%に増え、水道も48%から60%に増えた。
 また、完全失業率も年々改善され、99年には23%まで落ちたという。地縁血縁の強い黒人社会にアファーマティブ・アクション(差別是正策)の予算が染み渡っているのは間違いない。
 しかし、黒人世帯の32%は過去4年で「生活が悪化した」と言い、48%が「変わらない」と答えている。これは、住宅の所有率(白人97%、黒人60%)、水洗トイレ利用率(白人97%、黒人17%)など、見た目の人種間格差が歴然としているのが一因だろう。ハイジャックなど路上犯罪の根にこうした格差があるのはやはり否めない。

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自宅を改造した施設で孤児たちを育てる南アフリカの女性 (C) Akio Fujiwara


 道路交通の話をしていても、つい人種問題に行き着いてしまうのが南アの性(さが)だが、裏返せばそれは多人種を抱える強みでもある。
 将来に希望を抱く黒人らはもう極端な政治暴力には走らず、人口の1割に当る白人は不平を言いつつも国を支えている。両者ともこのアフリカ唯一の多人種国家を伸ばすには、互いの存在が必要とわかっているからだ。
 人種問題、路上犯罪と表面を見れば暗さがつきまとうが、私も家族もこの国を出て行きたいと思ったことは一度もない。もし勤め人ではなく自由業の身なら、あと何年でも南アに暮らしたい。その魅力は何だろうと考えてきたが、的確な言葉になかなか行き当たらない。ただ一つ言えるのは白人、黒人を問わずみな、人がいい。変にすれておらず裏表がないところだ。
 以前、一本道で車が壊れた時、ボンネットを開け途方に暮れていたら、農作業帰りの黒人男性のトラックに拾われ、60キロ先の町まで送ってくれた。だが、あいにくの日曜日。整備業者はおらず困っていると、事情を知った白人男性が町中のパブを回り、飲んでいた整備士を見つけてくれた。
 若い白人整備士は嫌な顔一つせず、一本道に車を走らせ、修理してくれた。しかも、休日の2時間をつぶしたのに労賃は一切受け取ろうとしなかった。
 砂に車が埋まった時も、通りかかった4輪駆動車の男が黙々と手際よく車を引き出してくれた。多くを語らず、ただ満面の笑顔で去っていった。
 緑深い東部の山中で家族でテントを張っていた時、小型トラックに乗ったいかつい釣り師たちが通りかかった。東洋人が珍しいのだろう。一瞬、ギョッとして通り過ぎたが、車をバックさせ戻ってきた。
 こちらが身構えると、髭にサングラスの大男は少し照れくさそうにこう言った。「いや、ちょっと、言いたくて。とにかく、楽しんでもらいたい。それだけだよ」。
 私は「言葉の裏に何が」などとつい考えてしまうが、そうではない。彼らはただ嬉しいのだ。「アパルトヘイトを乗り越え、心を入れ替えた人々」などと新聞の見出しのような解釈をしてみたくもなるが、どうも違う。もともと見知らぬ人、よそ者を助ける、受け入れるのが彼らの一つの習慣になっているようなのだ。
 私が助手とともに貧民街で車を強奪された話には実は落ちがある。助手が「盗られた!」と大騒ぎし、彼の身内でマシンガンを手に町内を回る自警団のボスが「俺の客に手を出したのは誰だ」と血眼になって犯人を捜し出した。
 その末、犯人を丸3日小屋に閉じ込め自白させ、結局、車から何からほぼすべてを取り戻してくれた。そのボスも別れ際、やはり多くを語らず、金も求めず、ただ笑顔をたたえていた。
 南アに数年住んだ人でも時に「差別された」などと愚痴ることがある。レストランで注文を後回しにされた、変な目で見られたといった程度のことだが、被差別感というのは本人の劣等感や自意識に左右されることが多い。異人種との交流経験の乏しい日本人の場合、特に自意識が強いように思える。
 だが、それを乗り切ってしまえばこの国の人々を自然に眺められるようになる。黒人も白人も、インド系、中国系も気候のせいか、大陸的とでも言うのか、みな実に大らかだ。懐が深く、細かな事にこだわらない。
 そして、ラテンアメリカのように湿った情やベタベタした人間関係はないものの、アフリカ的というのだろうか。素っ気なく別れながらも、友人の背中をいつまでも眺めているようなところがある。南アにはまだそんな西部劇に出てくるような寡黙な善人たちが生きている。

(2001年2月21日執筆、寄稿先不明)