貧しさがテロをもたらすのではない

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コンゴ民主共和国のキサンガニでルワンダ軍に訓練を受けるルワンダ出身の越境者たち (C) Akio Fujiwara 


 2001年9月、米同時多発テロの直後、貧しさがテロを生み出すというコメントをよく聞いた。裏を返せば、テロを鎮めるには貧しさをなくすしかないということだ。その通りかも知れない。だが、アフリカから日本に戻ったばかりの私には素直にうなずけないものがあった。貧しさと言えば、アフリカである。では、なぜアフリカに中東ほど派手なテロがないのか。貧しさを言うなら、アフリカ人はとっくに各地でテロを続けているはずだ。なぜ、彼らは黙ったままなのか。
 そのとき私は、自分が見てきたものを書かなくては、と思った。貧困の一言で片付けられてしまう大陸の人々の言葉を、風に乗る砂のように消えていく人々の生涯を残さなくては、といたたまれない気持ちになった。同じころ、本稿の第三部「ゲバラが植えつけた種」に登場するガクワンジ老が亡くなったと耳にした。多くを学びながら、伝えるものも伝えきれずにアフリカを去った自分に対する、罪滅ぼしのような気持ちで書き始めた。
 日本に暮らす外国人は言う。「日本人はやさしく、身近なことや欧米世界に異常な好奇心を示すのに、利害のない世界には驚くほど関心がない。よそ事と思っている」。よそ事の代表格にアフリカがある。筆者もついこの前までその一人だった。アフリカをあえて知ろうともせず、遠い大陸の黒人、白人に偏見を抱いていた。だが、特派員としてアフリカ人の言葉を拾い集める中で、偏見は次第に崩れていった。この地の人々、特に植民地時代を生きた老人たちの賢者ぶり、自分をわきまえた控えめさ、そして国家にも世間にも縛られない個人を尊重する生き方に、むしろ圧倒される思いがした。
 本稿の第一部では、筆者が「奇妙なる国」と言われる南アフリカに暮らし、この国の人々の人種観、孤独などについて、南アフリカ出身のノーベル賞作家(03年)、J・M・クッツェー氏の言葉を絡めながら考えた。個人的な体験をあえて書いたのは、差別意識などは一般論で解き明かすことはできないと思ったからだ。高度成長期の日本に生まれた筆者の卑近な体験や感覚をもとに、人々の心理を探ろうという試みだった。
 第二部では、5年半のアフリカ滞在期間、好んで聞いた老人たちの物語をつづった。対象は偶然、南部アフリカの人々ばかりになった。たまたま通りかかった英国人に撮られた1枚の写真が絵葉書にされ、11年ぶりに子供時代の自分に出会う老教師。アフリカ人の血、母の思い出にすがって生きる内戦の村の混血老人らの話を、幾多のエピソードを交えて紹介した。
 第三部は、ルワンダの古老を中心に、歴史に翻弄される個人、はたから見れば貧しい老人に過ぎない人々を題材に、生きることの意味を考えた。

 いまはアフリカを無視し、混沌へと向かう歴史をただながめていればそれで済む。だが、我々はいつまで安全地帯にいられるのか。いずれ、アフリカに目を向けなくてはならない日が必ず来る。そのためにはまず相手を知る必要がある。
 本稿に登場するアフリカ人は援助や人類学、人権問題の対象ではない。彼らは自由に軽妙にさまざまなテーマについて好きにおしゃべりをする。彼らのリズミカルな語り口が読者の耳になじみ、遠い地平の人々を少しでも身近に感じる機会になればと願う。

(2005年7月 「絵はがきにされた少年」=原題「遠い地平」=の開高健ノンフィクション賞受賞内定直後、集英社向けに書いた「受賞作のあらすじ」)