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耳の記憶、たまたまのアフリカ

                                                                           藤原章生

 暴動に巻き込まれたことがある。そのときの喧騒、人々の歌声、大合唱が耳から離れない。耳の記憶とはそういうものかも知れない。そのときの音が耳の奥でイヤホンから漏れ出る雑音のようにズーズーと常にくすぶっている。だが、当のこちらは声ひとつ発することができない。

  「やめてくれ!」  大声で叫べば、どれだけ楽だろう。だが出そうにも、恐怖から声一つ出ない。無表情のまま、何事もないような素振りで、どうしたら生き残れるか、それだけを考えている。

  十代のころから三度、私は海や山でじわじわと迫り来る死の恐怖を味わっている。ザイルに宙吊り状態で腕力がつき果て落下する寸前、何かに押されるような偶然が重なり、助かったこともある。だが、そんなことを何度経験しても慣れるものではない。

  一九九八年、コンゴ民主共和国(旧ザイール)の首都キンシャサにようやくゲリラが入城した。私は現地の大学生と二人で町に出た。ゲリラが軍用トラックで走りすぎる表通りから裏道に入ったところで、暴動に巻き込まれた。誰ともなく、 「中国人がいるぞ」「傭兵だ」という声が上がり、気がつくと無数の人間に囲まれ、棒やこぶしで殴られた。 

「中国人じゃない。日本人だ!」

  パニックに陥った大学生が叫んだのを機に輪はみるみるふくらむ。亡命した独裁者、モブツ大統領が中国の傭兵を雇ったという噂が発端だが、暴動に理屈などない。目の前に珍しいのがいる。ただそれだけで瞬く間に燃え上がる。実際、その前後に中国人やフランス人が何人か撲殺されている。

  群衆をかきわけるたびに、どこからともなく拳が飛んでくる。引き倒されたら最後だ。そう思ったとき、表通りで銃声がした。気をそがれたのか、輪は緩み、その隙間に突進し、何とか表通りまで逃げおおせた。  それはどこからともなくやってくる。それまで笑顔を見せ、喜んでいた子供や若者が何かにつかれたように突如変わるのだ。

  作品「絵はがきにされた少年」はいわば短編集である。あるいは「エッセー集」と言ってもいい。文体や人の語り口、物語づくりをあれこれ試みたという点から言えば、やはりエッセー(試み)なのだろう。

  時代は一九九五年から二〇〇一年、舞台はアフリカ大陸だが、それ以外に本作の十一篇に通底するテーマはない。一つ一つが独立しており、どこから読んでも構わない体裁となっている。強いて言えば、すべての話が書き手の耳の記憶、たまたま聞いた喧騒や人々の言葉を主眼に物語は進む。

  「嘘と謝罪と、たったひとりの物語」(第一部3章)は、群衆に囲まれ死を迎える寸前の男たちの恐怖から始まる。男たちは白人の右翼。彼らを囲むのも、そしてそこに突然現れ、彼らを撃ち殺すのも黒人だ。アパルトヘイト(人種隔離政策)廃止直後の南アフリカの話である。長年黒人を差別してきた白人の右翼なら殺されて当然という声もあるだろう。だが、書き手(私)の志向がそうさせるのか、話は政治へ向かわない。むしろ、白昼、砂埃にまみれ、「ボラヤー(殺せ)!」という大合唱にさらされる男たちの恐怖が書き手にリアルに感じられたからこそ、この物語は生まれたのだ。

 そして、どういう偶然か、殺された男の妻は、遠く離れた町で異変を察知する。その話を何年かしてようやく口にした彼女の声、「何で私たちが差別主義者だなんて言われなくちゃならないの」。 

 それにに押されるように書き手は殺した男の下へ、彼の言葉を拾いに向かう。

  表題作にもなった「絵はがきにされた少年」(第二部1章)は一九三〇年代、通りかかった英国人に撮られた一枚の写真に、成人になってから出会う老人の物語だ。老人は書き手にポーズ写真の撮影を求められ、あれこれ指図される中で少年時代を思い出す。いまだ「見られる側」にいるアフリカ、そんな言葉をひとり浮かべる書き手に老人は微かな揶揄を込めてこう聞き返す。

 「あなた、インクィジティブ(知りたがり屋)という言葉をご存知ですか」  そこには狂言回し的な立場で、「東京の石川さん」も登場する。彼の小気味いい江戸弁で話が展開するのは、故人となった彼の声色が書き手の耳から離れないからだろう。

  新聞社の特派員、中でもアフリカや中南米、アジアを報じる者たちの第一の職務は生の言葉を拾い集めることにある。そして彼らは年平均二百人ほどと言葉を交わす。本作品の書き手の場合、五年半で千人ほどと会話した勘定になる。多くはそのまま消えるが、中には寝入りばなや夜明け前、何の脈絡もなくよみがえるものもある。

  本作品はそんな書き手の耳の記憶が紆余曲折をへて形となったものだ。アフリカを論ずるものでも、そのエッセンスをとらえたものでもない。拾い集めた言葉の山を川でザブザブと洗い、ざるの底に残ったものが、たまたまアフリカ産だった。それだけのことだ。

           (集英社「青春と読書」2005年12月号に収録)