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脳裏整頓 小説 vol,01

大切なものは


将来について考えた。

今は20代 やりたいことは決まっている。 

作家になりたい。
人に大切にしてもらえる物語が作りたい。
大学へは金銭的家庭の事情で行っていない。
それでも、補うことはしっかりしてきたつもりだ。

「つもりになっているだけで、本当は何にもしていないのでは。」

という類の質問は受け付けない。 
なぜなら、自分がやったと胸を張っていえるからだ。

むしろそのコメントこそ 「知ったつもり」 で書いた誰かの的外れなコメントだ。





話を戻そう。
自分の趣味はもちろん読書。
趣味が派生してこの夢がある。

夢があるのは良いことだ。
目標は生活に潤いを与えてくれる。

でも、食欲や財布の中はこの潤いでは満たされない。
これらに潤いをもたらすのは結局のところ、お金なのだ。


執筆関連に時間を優先し、残りは睡眠とアルバイトに費やしている。



人生は昔から物語に例えられる。 
そして、成長するにつれ分かることは多くある。 
例えば、全ての人の物語がハッピーエンドではない事にも。
そして不安になる。 

自分はどっちだと。



個人的な読書の傾向として、ハッピーエンドな結末が多いように思う。 
特にシンデレラのような。

だからこそ、憧れの物語と今の自分。 
 
理想と現実の乖離に絶望するのだ。




アルバイト先は同年代の大学生や主婦が多くいる職場だ。
彼らには失礼な表現になってしまうが、わかりやすい将来が彼らにはある。

「会社に就職すること」

でも作家になるというのは違う。
正直、どうやってなれば良いかわからない。
ネットで調べた新人賞に、応募してみたこともある。
でもまだ自分を取り巻く環境は、作家を志した時から変わらない。

当然だ。 

仮にわかったところで実力が全て。 
面白いかが全てなのだから。



どんどん不安になってくる。 
理由もなく泣きたくなる。
どうしてこんなものに憧れてしまったのだろうとすら思ってしまうのだ。
あれほど好きだったはずなのに、自分もわかりやすい夢がよかったと。

でも自分が作家以外の生業でこれからの人生、人生100年時代と言われる現代で残り約80年生きていけるかと問われると、答えはノーだ。
80年も他人の人生を羨ましがりながら生きるのはとんでもない苦痛だ、拷問だ、いっそ自殺にさえも踏み出してしまうだろう。

笑ってしまうくらい、自分はわがままだ。


こうもダラダラと、答えのない自問自答をしている間にも鼓動の残りは減っていく。
夢とは一体いつまで追いかけて良いのだろうか。

諦めない限り夢は叶う

この言葉は答えではないと自分は考える。
確かにやっていれば叶うだろう。
叶わずとも目指している途中に死んでいけば本望だろう。

でも自分1人だけで生きてるわけではない。
自分の両親や何より自分の精神を考えていない。
この言葉を考えた奴はきっと、自分1人で生きていると思っている勘違い野郎だ。

こっちはお前と違って大切なものが他にもあるんだ。
だから悩んでいるんだ。




もし夢に年齢制限があったなら。

夢に年齢制限がある職業は、プロボクサーや将棋棋士など。 
彼らは幸せだろう。
成れずとも、歳のせいにできる。
「目指すのが少し遅かった、もう少し早ければ成れたと」
「年が来たなら仕方がないと」



‥‥‥いや、これは失言だ。
たとえどんな理由があろうとも、何年も燃やした情熱はそんな簡単には消えない。
現に自分も言っていたではないか。
他人の人生を羨ましがりながら生きるのはとんでもない苦痛だ拷問だと。
彼らから見れば、まだ追いかけられる分だけこの夢は良いのかもしれない。




ますます分からなくなってきた。
夢とは
一体いくつになるまで追いかけて良いのか。
夢とは
どれほどの犠牲が必要なのか。



現時点でわかっていることはただ1つ。



夢とは無情である。
叶える過程で必ず大切なものの取捨選択を迫られる。

夢かお金か。
夢か精神の安定か。
夢か友人との人間関係か。
夢か両親への安心か。




幼稚園生や保育園生の頃から聞かれるごく一般的な質問


「将来の夢は」


あの頃とは違い、思いついたものを何も考えずには言えない。


自分にとって一番大切なもの。


自分にとって一番譲れないものそれは、
 


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