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【短編】 冷蔵庫の物語

 そいつは冷蔵庫から出てくると、ハローと言った。私は冷えたビールを飲みたいだけだったので、誰かに挨拶されるなんて考えもしなかった。
「ほら、冷気が逃げるから、早くドア閉めなさいよ」とそいつは、ソファに深く腰を下ろしながら言った。「それに、まずは冷蔵庫のドアを閉めないと落ち着いて話もできないでしょ」
 そいつが言っていることはその通りなのだが、このままドアを閉めたら今置かれている状況を受け入れてしまうことになる気がしたので、私は一旦目を閉じて深呼吸をした。
 すると次の瞬間、バタンという音が聞こえたので目を開けると、そいつが冷蔵庫のドアを足で蹴っているのが見えた。
「目の前のことから逃げても何も解決しないし、物語はもう始まっているのよ」

 私は、自分の置かれた状況を一週間ほど静観していたのだが、そいつはいつもソファでゴロゴロしたり、お菓子を食べたりしているだけの存在でしかなく、そいつが言っていた物語が始まったようにはとても思えなかった。あるいは、何も起こらない物語もあるのかもしれないが、そもそも現実というのは物語のように何かが起こる必要はないのだ。
 しかし、一ヵ月ほど過ぎたあるとき、そいつは私のことを「兄さん」と呼び始めた。
「実はあたし、兄さんの妹なの。だから兄さんのことを兄さんと呼ぶことにしたの」
 本当の妹なら兄さんと呼ぶのは当然だろう。しかし、嘘の妹であるお前にはそんな資格はないと言って突き放すと、そいつは無言で冷蔵庫のドアを開け、再び冷蔵庫の中へ戻ってしまった。
 私は、ソファに座ってしばらくテレビを眺めたあと、何事もなかったように冷蔵庫を開けた。そこには、ビールや食材が入っているだけであり、他に変わったものは何も見当たらなかった。

 そいつがいなくなってから、私はたまに手紙を書いて冷蔵庫の中へ置くようになった。返事が返ってくることもあれば、返ってこないこともあった。お前は嘘の妹であるが私の妹であることに変わりはないと手紙に書くと、そいつは、「はじめから兄さんの気持ちは知っていたわ」と返してきた。
 そして今、そいつは家電売場で冷蔵庫の販売を担当しているのだという――結局のところ、そうやって冷蔵庫で話が終わるというのは物語として月並みな展開かもしれないが、そいつはそういう物語で満足しているようだし、私も別に不満はない。それと、そいつがはじめから私の気持ちを知っていたなんてきっと嘘なのだ。でも、そんなことも全部含めて、私はそいつが好きだ。

(2017/08作)

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