わたしの左耳はどこへ?
「あけみはなんでそんなに頑張れるの?」
「何度も何度も頑張る原動力はどこからくるの?」
大学生の頃によく聞かれていた質問。
今までこの答えは、私もわからなかった。
確かに、振り返ると常に1番の結果を取り続けてきた。
みんなの見えないところで必死になってがむしゃらに、高い壁をよじ登って、打たれては這い上がって、頑張ることをし続けてたから、「頑張らない」という感覚がわからなかった。
誰かから、「頑張りなさい」とか「1番を取りなさい」なんて
言われることがなかったから、私でもどこからその原動力が湧いてるのか、わからなかった。だけど、最近、わたしの心の紐が解けた感覚があった。
必要な時には伝えようと思ってたものの
いままでみんなには、言わなかったこと。
「私は生まれつき左耳が聞こえません。」
片耳が難聴の場合、障害手帳は手にすることができなくて、手術をしたところで、治るかもわからなくて、多分幼少期の頃、補聴器もつけるか聞かれたこともあったと思うけど、「なくて、大丈夫!」って答えたと思う。私は勝手にハンデがあると視覚的に思われたくないと思ってた。
そんな左耳が聞こえない私は、心のどこかで、「みんなにはあるのに、私にだけない」と思い込んでしまったようです。
だから、わたしは、
みんなよりも頑張らないといけない人間なんだ
って、心の奥底でずーーっと思い込んでた。だから、見下されたくないとか、気を遣われたくないって思った。本当に必要な時にだけ伝えようって思ってた。これを伝えてしまったら、みんなが離れていってしまうかもとか、気を遣わせたくないとか、平等でいてほしいとか、何かが変わるって決めつけてしまっていて、これまでずっとしんどかったと思う。
この投稿を見てくれてる人の中には、さらっと伝えたことがある人もいると思う。それほど、多分その時、あなたを信じてた私がいたと思う。
今振り返ると、学生時代から社会人と私の身近にも耳が聞こえづらい人も、補聴器をつけてる人もいた。そんなときは、聞こえやすい声の大きさで、周りの人の言葉を大きい声でおうむ返ししていた自分もいたな〜って人のことはあんまり気にしないのに、自分のことになると否定してしまう。
私が聞こえなかった時、何度も聞き直しちゃう時は、心が痛くなるし、とぼけたふりしといた方がいいかなと思ったら聞き返さないでとぼけたりもしたこともある。この人聞いてないなって思われる顔もしんどかったはず。(この事実を知っても、そのままでいていいからね。でも、あ、そうだあけみの右側に立とうって思ってくれたら私はリラックスできると思う🌿)
「なんで、正常な状態で産んでくれなかったの」「それなら、生まれなきゃよかった」
思春期の頃、母に叫んでしまったこともあったと思う。
私の耳は、双子にとられた。
と、どんなに嘆いてもどうしょうもできないのに。(この文章を打ってるだけでも涙がポロポロ落ちる。)
そして、いつしか、
この感情は書き換えられてゆく。
左耳が聞こえなくてよかったことも沢山ある。
いままでずっと、目の前の人の可能性を信じてもいたし、それ以上に、私が私の可能性を信じていることも確かだった。
「あー私ってこうゆう人間なんだ」って、弱さも、すべて、受けとれて初めて、私を好きになれた。生きる喜びとか、こんな人で在りたいって思えたからさ。
今やりたいことがあってもなくても、心の底から湧き出る、全ての感情を受けとって、自分で自信して、仲間を頼ってさらけだしてみる。
やりたいこと・やってみたかったことがでてきたら、自分のペースでトライして更新し続けたらいい。
いくつ歳を重ねても、唯一無二の私を磨き続けて、
「あ〜生きるって最高!」って叫んじゃう人たちを放出したい。
私は、そんな人たちと生きていきたいんだって。
心と心で繋がる本音で生きる世界を、
みんなと作りたいんだって改めて思いました。🌏💗
最後まで読んでくれてありがとう!
少しでも何か、受けとってもらえたら嬉しいです。