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徐庶元直の年齢についての軽い考察

諸葛孔明さんのオトモダチ、徐元直さんって、
なんかオジン臭く書かれてることが多いようなそうでないような。
いや、人形劇三国志の元直さんがじじむさかったので、
さて、自分が同人誌描く段になると、ほんとにおじいだったのかなあ?
と悩むわけで、原稿描いてた当時、
こういう考察をした。

資料:正史三国志による徐元直の主な記事(裴松之注含む)ダケ。
括弧内および数字3桁のみは西暦です。
[記事内容]
1.
中平末年(188・189頃)人に雇われて敵討ち
心を入れ替えて勉学に励むも
初平年間(190~193)の戦で中原を逃げ出し荊州へ。
2.
建安年間、208年まで荊州で諸葛亮他の方々と仲良く暮らす。
建安12(207)ごろ御存知のあの人に仕官する。
3.
建安13年(208)大移動中の元直さんの母上事件
(つまり、このときおかんが健在だった)
4.
大和年間(227~232)諸葛亮が仕官中の役職を伝え聞く。
その数年後、没。

1による考察
189年に敵討ちをする程度に体格がよくないといけないので、
最低15歳として、生年174年。
その後心を入れ替えられるくらい柔軟な心を持てる年頃が
せいぜい25歳あたりだとして、生年165年。
生年範囲は165~174年
2による考察
諸葛亮が荊州にいたのが、青春時代な10代終わりから27歳までなので、
これより劇的に若すぎると勉学の会話が成り立ちにくい。
また207年には仕官しているのでこの時点で20歳以下と言うのも考えにくい。
よって生年は187年以前。
3による考察
208年におかんが健在なので、元気なおかんの年齢-20歳~30歳前後が元直さんの年齢。
おかんの年齢をゆったり40歳~60歳として、
(それ以上老齢だと例の大移動はできないだろうと思う)
208年時点で元直さんの年齢が10歳~40歳。
つまり生年は168年~198年。
4による考察
240年ごろに平均寿命的50~70才で亡くなったとして
生年は170年~190年。
以上簡単に見つかる元直さんの記事から年齢を考察してみました。
正確に○○年なんてこと言えるはずもありませんが、
とりあえず、正史と矛盾するところがなければOKなのだ。
あとは好みということで、
多分わたしは170年頃の設定にしたと思う。
けっこう楽しい遊びでした。

※この記事は2005年9月23日に、個人サイトのブログに載せていた記事を、転載したものです。


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