新型コロナ感染は「生徒の将来に影響を及ぼす」のか

 いやあ、びっくりした。

高校野球全国大会を辞退した東北学院の、その理由である。

「2回戦に出場することになれば、感染者・濃厚接触者の特定につながる恐れがあり、生徒の将来に影響を及ぼす可能性がある」。

同じく辞退した宮崎商業は、感染者13名。この人数なら仕方ないと思える。一方、東北学院はたった1名なのである。

 しかし、1名だからこそ、2回戦に出場すれば「消えた選手」がわかるわけで、学校は感染した選手が特定されることを恐れたということだろう。だが、感染することが「将来に影響を及ぼす」って、どういうことか。それは、「差別がある」と見越していることにほかならない、ですよね。

 もちろん本人が「どうしても知られたくない」と言うなら、難しいかもしれない。けれど、学校の役割は、本来、感染した事実を隠すより(それは罪ではないのだから)、その後デメリットがないように何が何でも生徒を守る、と約束することではないのか。それなのに、「感染差別ありき」で、辞退を選んだように思えてならない。本人とは話し合ったのだろうか。

 もやもやしていたところ、日刊スポーツに、「東北学院の出場辞退の理由に首をかしげた」とあり、「そうだそうだ」と読み始めてみると……。

「『2回戦に出場することになれば、感染者・濃厚接触者の特定につながる恐れがあり、生徒の将来に影響を及ぼす可能性がある』(阿部恒幸校長)。生徒の将来を思う気持ちは分かる。だが同時に、感染していない選手たちのプレー機会は奪われた。感染した選手に『自分のせい』と十字架を背負わすことにもならないだろうか」(8/18)

 という内容で、私が望んだ記事とはちょっと違った。この記者の意見もわかる。自分のために辞退したことの方がよほど「将来に影響」するのではということだろう。しかし、ちょっと待ってくれ。報道機関なのだから、やはり「気持はわかる」と同時に、「感染差別があってはならない」と報じてほしかった。

 私は周りに、昨年新型コロナに感染したことを隠していない。だが、地元(かなりの田舎)に帰ったときはあえて言わなかった。母が周囲の人に話していなかったから、つまり、私は別にいいけれど、母がいやがっているようだからである。だから、この東北学院がある宮城の「空気」もわかる。しかし、理想論かもしれないが、それでも言いたい。ほんとうに生徒の事を想うなら、出場するという選択肢もあったのではないか。

私がもし監督の立場なら、こう話したと思う。

「2回戦に出れば君が感染したことは世の中にわかるだろう。しかし、それは決して恥ずべきことでも、罪でもない。君が出られないぶん、仲間たちは思い切り闘う。そして、地元に帰った時何か言うようなやつがいたら、自分にすぐ知らせろ。『感染しても回復すれば人にうつすことはない。差別は絶対にしてはいけない。病気になることは誰にでもある、それは罪ではない』と、自分が言うから」と。

 感染した選手の立場からすれば、「辞退してくれ」とは言えないだろうし、言ってはいないのではないか。だから、学校が選手の立場を思いやったことが今回の結果につながったのだろう。

 しかし、別の選択肢はなかったのか、と考え続けてしまう。

 それにしてもなあ、芸能人も、スポーツ選手も、これだけ続々と感染しているのに、まだまだこんな感覚なんだなあ。松山英樹、錦織圭が、感染したが回復し、復帰しても、「将来に影響」があると思うのだろうか。

 東北学院、今から辞退撤回できないのか。私がここで書いていても無力だ。感染経験のある宮城出身の宮藤官九郎さんなどが、何か言ってくれないだろうか。

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