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「わたし」と「わたしたち」

2020年になってから、予想外のことが起きました。

生活様式の大きな変化を迫られたのです。

都市部の商業施設を中心に、店舗の営業施設を自粛。
海外どころか、日本国内でさえ移動がままならない。

まさか、世界中が「巣ごもり」状態になるとは、思っていませんでした。

戸惑いと、おそれ。
不安と、苦しみ。

マイナスの感情に、振り回される事も多く、
今でもその状態が続いています。

自粛が解除になったからといって、
全てが元通りになったわけではありません。

マスク
消毒液
ソーシャルディスタンス

この3つが、日常生活につきまとっています。

私は、いまだに慣れることが出来ません。

いちばん、ピンとこないのは、

『わたしたちの日常』
『わたしたちの新しい生活様式』

と、言われてしまうことです。

「わたしたち」と、ひとくくりにされてしまう。
そこには、日常感がない。

わたしは、「わたしたち」ではありません。
わたしは、「わたし」として生きています。

にもかかわらず、強制的に「わたしたち」にさせられる。
何ともいえない、居心地の悪さを感じています。

「わたし」である前に、「わたしたち」であることが優先されてしまう。
その圧力が強すぎて、息苦しくなります。

自分の身体なのに、うまく使えないような、不自由さ。

理屈では分かっていても、気持ちが乗りきらない。

「みんなで力を合わせて」という言葉を見聞きするたびに、
それぞれの思いや苦しみが混ぜられて、
みんなに変換されてしまうような感覚になります。

「わたし」が楽しめないのに、
「わたしたち」は楽しめるのだろうか。

「わたし」は窮屈なのに、
「わたしたち」は自由なのだろうか。

「わたし」が不安でも、
「わたしたち」は安心なのだろうか。

わたしの集合体がわたしたちなら、
個人個人の感情や行動が、
もっと尊重されてもいいのではないかと思います。

入場制限、時間制限なしに、ショッピングができること。

気軽に「ごはんでも食べに行こうよ」と誘いあえること。

そこにしかない景色を見るために、旅行すること。

ライブで、心を揺さぶられる音楽を聴きにいくこと。

これまであまり意識せずに、行動していたことが、
特別なものになってしまいました。

あれは、得がたくて幸せな時間だったのだと、実感しています。

もちろん、少しずつ元には戻っています。
でも、全てが以前と同じ状態には、ならないでしょう。

せめて、「わたし」と「わたしたち」の間が、
これ以上乖離しないでほしい。

そう思います。

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