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だんだんカタチを成すもの-デザイナーキャリアの振り返り

キャリアというのは雲に形を見出すようなもの、かもしれない

車の窓から外をみながら「あれはいるかのかたちだね」と5歳のむすめが言った

私の住む新潟には台風が接近していて、3日後には大荒れになるとニュースで言っていたけどその時はまだ晴れていて、台風特有の量感のある雲が空の高いところに大きく横たわっていた

確かになんとなくいるかに見えない事も無いなと思って、あの辺がヒレかな?などと当てずっぽうに答えていると、「親子のいるかだね」と、むすめ

二頭いたのかとまた形をさがして会話を続けながら、雲を見てかたちを見出すような感性がむすめに育っていることを感じてうれしい気持ちになった

キャリアについてのこの記事をどう書こうかと考えているときに、なぜかこの情景を思い出して、キャリアというのは雲に形を見いだすような物なのかもしれないと思った

雲というのは細かい水蒸気の集まりで、近くで見ると形のない不定形なものだけど、遠くから見ると確かに雲として実体を感じる

人はそれを見て、おにぎりみたいだとかハートみたいだとか、いるかみたいだとか思う

自分の過去を振り返ってみると、一日一日は目の前の事に対応する細かな行動の連続だけど、キャリアという視点で振り返るということは、そこに何かの形を与えるような作業になる

38歳デザイナーの私のキャリア

私は新潟に生まれお世辞にも勉強ができるとは言えない高校生生活を経て、新潟のデザインの大学で学んだ

道具を使いこなせるようになるのがとにかく楽しい大学生

大学ではタイポグラフィーを学びたかったが、狙っていた研究室が四年生の時に教授の退任で無くなり、写真表現の研究室に入り、卒業制作で当時全盛期だったflashを使ったインタラクティブコンテンツを制作した。写真の研究室に入ってスクリプトをこねくり回していたのだから今思えばよくわからないことをしていたと思うけどその時の私は無性にそれがしたかった。とにかくマッキントッシュをいじくるのが楽しかった気持ちは覚えている(今もあまり変わっていない)

当時のキャンバス

とにかく好奇心と技術への興味だけで手を広げるタイプで、グラフィック・映像・写真・webなんでもやってキメラのような作品をつくり、謎に優秀賞を頂き、それがあったからか、それほど明確な目標も持たず教授に紹介された就職先に入る事にし上京する事にした

激務だがデザインの基礎を叩き込まれる新卒時代

就職先は東京の大手代理店の制作を請け負う事務所で、案の定激務であったが、広告の黄金時代の最後の燃え残りのような期間に、多くの現場を経験させて頂いた。この期間が未だに自分のベースになっていると思う

この写真しかなかった

新潟にUターンWebデザイナーに

その後は地元に戻り、先にUターンしていた先輩を頼り、Webデザイナーに転身。地方のデザインの現場は分業の中で一部分だけをやるという環境とは無縁で、撮影からライティング、ディレクション、時にはロゴやパンフレット制作までなんでもやった。当時Webサイト制作はようやく黎明期を抜けたころという段階で、地元の中小企業や官公庁のお仕事をたくさんさせて頂いた

この写真しかなかった

この時期はじめてエンジニアとの協働機会に恵まれ、多くの学びがあった。時間をかけて質を追求するグラフィックデザインの世界にいた身としては、システムで効率的な仕組みをつくるというエンジニアの思考に頭を殴られたような衝撃があった。こういう質の高め方というのもあるのかと驚き、一通りのコーディングができるところまで学んだ

地方のデザインの現場へ

ある程度経験を積んだ段階で、どうせなら地方ならではの仕事がしたいと思い、ローカルブランディングを行うアートディレクターの事務所に直談判し入社した

様々な人間関係の中でのデザインワークを経験させて頂き、地域の中でデザインをし続けるということの難しさや楽しさを学んだ

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サービスデザイナーに転身、東京と新潟のダブルワークに

その後はチームでのデザインワークを経験したくなり、東京に本社、新潟に支社がある会社に転職した

本格的にサービスデザイナーとして学びと実践を深めた。首都圏の企業と地元新潟の地域ビジョンづくりの仕事などフィールドの幅を広げ、ファシリテーションの実践経験を積んだ

良いデザインを行うためには、人の関係やものづくりのプロセスに対して意識を向けなくてはいけないのではないか、という問題意識に向き合う仕事に関わり始める。この時期に感じていた葛藤について、イベントに登壇した

そして現在

今は株式会社MIMIGURIという会社に在籍している

MIMIGURIの仕事は組織に関わる仕事だ。人が良い関係で良いプロセスを共にするためには、共同体そのもののあり方を考えていく必要がある。今まで様々な現場で自分が感じてきた課題の大元にいよいよ肉薄してきているように思う

この現場では、今までの経験から学んだ考え方や技術を総動員しながら、多様な仲間とコラボレーションしていく必要がある。グラフィックデザインの経験も、エンジニアリングの学びも、地域で大切にしていた関係性の眼差しも、全てもれなく無駄にならない

副業もはじめている。新潟のインパクトスタートアップの株式会社DERTAでコミュニティデザインについて地元新潟での実践を行っている。今年から地元大学の非常勤講師も始めさせて頂いている

デザイナーという職業も幅が広がっている。私が経験から言えるのはどの領域からでも越境は可能だし、少なくとも私が経験した現場では他の領域の学びは必ず生かされる場面があった

MIMIGURIのような組織づくりの現場でもデザインの技術や姿勢は重要なものだと実感している

終わりに、キャリアとはなんだろう

長くなったが、自分語りはここまでにしようと思う

改めてこう書いてみると、具体的なデザインのフィールドから抽象領域へ、そして人のつながりの現場を経て、組織の現場へと、時代とともにフィールドを変化させてきたデザイナーのキャリアストーリーとしてかけている気がする(ちょっとできすぎているような、キラキラしたようなものに書けてしまったようにすら思う)

このものがたりの主人公たる私はこのストーリーを考えて今に至っているのだろうか、全然そんなことは無いだろう

その時々で好奇心が動き、社会にとっても自分にとっても大切だと思う学びを選び、とにかく目の前の人や課題に向き合い続けていた

そういう一つ一つの動きをこうして遠くから眺めてみてみるとこういうストーリーになる。その時々は好奇心を頼りに目の前のことに向き合ったり、迷走したりしていただけだ

今の私のキャリアの形は何に見えるだろうか「サービスデザイナー」だろうか「ファシリテーター」だろうか「地方のデザイナー」だろうか「コンサルティングワークのひと」だろうか

今私はMIMIGURIでは「デザイナー」という肩書きをあえて付けていない

「プロジェクトファシリテーター」と「コミュニティリード」それが私の肩書きであり、今のところすごく気に入っている。しかしこれが私の全てを表していないとも思う

今のところ自分のキャリアの捉えどころの無さににとても満足していて、もっともっと捉えどころが無くなれば良いと思っている

5歳のむすめが台風前の空の大きな雲に親子のいるかを見いだしたように、わたしはこれからも沢山の経験を集めて、色々な形を作っていきたい

大切なのは雲を見た時に形を見出す感性を持ち続ける事だ。それさえあればあとは今に集中していれば良い。自分や人生に対する好奇心があれば、自分が必要になった時になんらかの形を見出す事ができる

それが今自分が想像できない物であればあるほど豊かだと思う

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