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目に見えないものの存在

あけぼの事務所通信 Vol.3  

1.リモート飲み会にて


コロナ禍の中、先日大学時代の友人5人とのリモート飲み会に参加しました。久しぶりだったので近況報告から始まって、コロナウイルスの影響をどう受けているかを話していました。暫くすると私の写っている画面だけが明るくなったり暗くなったりを繰り返すようになりました。リモートでの通信は、携帯電話の電池が少なくなったり、Wi-Fiの電波状況が悪いと回線が切れてしまったりすることがあるので、通信回線状況が悪くそうなってしまうのかと思いました。もう一人、画面が固まってしまって音声だけが聴こえる状況になってしまった為、一旦リモート飲み会から全員退出して、再度設定した後、再び参加することにしました。再開後もう一人の状況は改善されましたが、私の画面の明るくなったり暗くなったりの状況は改善されませんでした。なんでだろう?と原因分析を皆でしている時、私がいた部屋の蛍光灯が点いたり消えたりし始めました。 (^_^)
リモート飲み会に参加する場所を普段あまり使っていない和室にしていたのですが、蛍光灯を点けることもほとんどなく、20年以上蛍光灯を替えていないことにその時、初めて気付きました。

2.見えない光や聞こえない音がある!


同じ光でも実際に人間が目で見られる範囲と最近の性能のいいカメラが捉える範囲は違い、人間の目が捉える光の明暗よりも、カメラはもっと精密に光の明暗を認識していたことに改めて驚きました。
昔、子供向け番組でやっていた実験でテレビのリモコンの赤外線を見られるというのを知って、実際にやってみたところ、リモコンから発せられる赤外線を本当に目視できた時の驚きと似た感覚を得ました。
また、年をとると聞こえないモスキート音のような音を発する機械を、若者が長時間たむろしないように店頭に設置するコンビニがあると聞いたことがあります。
これらの例だけでなく、世の中には、実際には存在しているのに自分には見えないものや聞こえないものがある、もっと極端に言えば自分の感覚や知識は無限にある事象のほんの一部しか把握できない程度のものと意識して、自身の能力を謙虚に評価しなければならない側面があると思います。
一方、その逆に見えないものや知らないことを過剰に恐れることは、自身の行動を極端に制限することになるため、「中庸」を意識して極端な考え方にならないようにしたいものですね。(^_^)



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