沈黙は金



ああ、だの、うーん、だの、えーっと、だの、



演劇的手法の一つとして、言葉を活かすために、日常会話における受け答えの間に生じる思考を極力減らし物語を淡々と進めていく、ということは演劇に限らず、色々な分野にて実践されていることは言うまでもありませんが。



「うわ、なんかこの映画(ドラマ等)めちゃくちゃ棒読みやんけ、なんか西洋意識しすぎちゃん」



というのは、例えば、日本において母国語ではない英語における映画や音楽、本にいたるまで、あらゆる分野のものを堪能する際に、大体は聞こえてくる言葉のみで理解するよりかは、目で字面を追って、より理解を深めようとすることに慣れ親しんでいる分、英語、いわゆる外国語に対して、本当の意味で理解、聴覚だけで理解するのは慣れていないため、単純にことばをことばたらしめるために分解して、単調に無機質に伝える行為(棒読み)において、母国語である日本語よりハードルが低くなっており、ああ、だの、うーん、だの、の日常会話を日本語で当たり前のように流して慣れ親しんでいる身としては、違和感が生じやすく、あれ、これなんか外国意識してんちゃん、って勝手に脳が錯覚を起こしてしまうのは仕方のないことであって。




〈ドライブ·マイ·カー〉は3時間の中で、様々な言語(手話を含み)が飛び交い、多国籍の多様な人物が現れることによって、主な使用言語は日本語ではあるものの、ことばを単なる一つの伝達手段として再認識することができる作品で、改めて日本語の一つ一つのことばの響きを堪能したり、それらが紡ぎあって、本人は意図せずともことばの力によって、それは知性ともなって、人々の奥底まで入り込んでいく瞬間を幾度となく観れる作品である。



車については、今現在、こちらが車製造工場に勤務し、毎日反吐が出るほど同じ作業を繰り返し、おい、こんなにも世界的に車に需要あるんけ、と半分憤りながら作業している点と、自身も身動きが出来なくなるとか色々御託を並べながらマイカーを所有していない点、そして車社会に重視されすぎて極端に狭い歩道をとぼとぼ歩く際に、身を切り裂くかのような鋭利な音を立てて、道路にタイヤを擦らして真横を通り過ぎていく車への嫌悪感等、妬む気持ちが大半で良い気分ではなかったのですが、そんな気分はどこへやら、真っ赤なサーブがかっこいいのなんの!いいなあ、車欲しいなあ!



ドライバー役の俳優(素晴らしい)が淡々と仕事をこなしながらも、垣間見える知性にこちらも勇気をもらいました(単純)





前作の〈寝ても覚めても〉を鑑賞した際にも、同じくことばの捉え方には感銘を受け、今作を観て、尚更一貫した作品観を観ることができましたが、いかんせん、昨今の度を超した監視社会においては、作品として好奇の目に晒されているのが、現状ではありますね~


流行りのYoutubeでも多くのテレビ番組でも、いかに情報を詰め込むかに躍起になって、わかりやすい言葉、演出において、見る聞く話すに多忙な現代人を飽きさせなくするのに必死で、何もない状態、間、というものが、何事においても取り払われていることに気付かずに過ごしてしまってるなあと、日々感じている中で、違う、そうじゃない、とこういう風に伝えてもらえることは有り難いですね。


そういう結果、世界的にポッドキャスト(つい先日始まった叶姉妹の番組が最高)が流行っている傾向も、人々が日常でスマホを肌身欠かさず所持し、目を酷使している分、少しばかり耳の許容範囲が増えているんだろうと思います。
→人との距離感が増す昨今、人間の生身の声が孤独感を多少解消してくれる効果も。




ああ、だの、うーん、だの、えーっと、だの、ペラペラと述べてきましたが、最近の邦画では(ミッドナイトスワン)ばりに、魅力的なサウンドトラックも相まって、感極まりました。めでたし!めでたし!






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