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七月の学校は「席替え」で終わる。(短編)

 「最悪だ」と思った。高校生になってはじめての一学期が、今日終わるのだ。
 入学してからの三ヶ月間はあっという間に過ぎていった。
 今思えば最初が肝心だった。
 中学に入学した時は、みんなと仲良くなれるよう笑顔でクラスメイトに接するように心がけていた。しかしそれが裏目に出た。最初の音楽の授業で担当の先生に一人ずつ自己紹介するよう促され、自分の番が来た時だった。クラスの男子から「"笑顔君"、笑って!」と声が上がった。その一言に周りのクラスメイトたちが笑った。僕のことを笑ったのだ。13歳の僕はこの出来事にひどくショックを受けた。これからは、小学校の時のような「なかよし」とか「おともだち」にはなれないのだ、と悟った。

 だから高校ではその時の失敗を活かして、入学早々、クールなキャラクターを装った。そうすれば、冷やかされることもないし、”イケてる”クラスメイトと仲良くなれると思ったからだ。しかし、その目論見は失敗に終わった。クールな人間は単純に、”取っ付きにくい人間”という印象を抱かれるだけで、ポジティブな効果をもたらすことは一切なかった。
 それでも挽回しようとした。一度だけクラスのいじられ役みたいな男の子に、お笑い芸人さんがやっている一発ギャグを披露した。「僕も同じようにひょうきんな人間ですよ」と思ってもらい、親近感を覚えてもらいたかった。しかし自分の意に反して、その男の子はクラスメイトに向かって「何かこの人急にキャラ変わったー!」と大きな声で報告した。今思えば彼は、いじられ役に不満を抱いていたのかもしれない。そこで、彼は、自身の身代わりとして、僕をクラスのみんなに差し出したのだろう。僕だけじゃない。人にはそれぞれ事情がある、ということだろう。みんなの視線が僕に集まって、急に恥ずかしくなった。

 それで心が折れた。

 学校生活は「最初」でつまづくと大きく出遅れることになる、ということを、僕は人生で二度経験し、しっかりとその苦さを味わうこととなった。
 それからは、人と接することが億劫になった。元来の人見知りも手伝ってか、付かず離れずというか、誰に対しても聞かれたことに応えるくらいで、結局クラスの誰とも連絡先を交換できないほどに、仲を深めることができなかった。

 そして今日一学期が終わる。
 現在、教室ではあちらこちらで話し声が上がっている。終業式が終わったことと明日から夏休みに入ることへの興奮が混ざり合って、クラスの喧騒が収まらない状態が続いていた。担任教師は何とか場を諌めようとしているが、16歳の少年少女たちをコントロールすることは容易ではなさそうだ。ホームルームがはじまって五分ほど経ったが、先生の呼びかけも虚しく、未だに、教室では各々、近い席の人同士で「部活忙しい」だの「一緒にどこか行こう」だの話し声が止まないままだ。先生は半ば諦め気味に、夏休みの過ごし方や配布するプリントについてを、誰に向けて話すでもなく説明しはじめた。僕は誰とも喋る人がいないので、早く帰りたいな、と思っていた。
 そんな騒がしい状態が続いてしばらく経った時だった。

 「席替えしようぜ!」と、クラスで目立つ存在の大倉君が声を上げた。
 他のクラスメイトもその声に呼応するように、やろう!やろう!と盛り上がる。そういえば七月は「期末テスト」一色で、学校生活らしい学校生活を送れていなかった。月に一度の席替えもスキップされていた。
 大倉君の提案にみんなが盛り上がる。さすが大倉君だ。みんなの心を掴むのが上手いというか。どうやったらあのようなクラスの中心的な存在になれるのだろう、と素直に感心した。しかし状況が状況だけに尊敬はできなかった。彼を中心としたクラスメイトたちは、結果的に、騒ぎを大きくしているからだ。僕は、先生に同情すると同時に、頭のどこかで、この人たちとはそもそも仲良くなる必要はなかったのかもしれないな、と思っていた。
 そんな中、意外にも、先生は「席替え」の提案を了承した。この場を収めたいからか、それとも先生自身もホームルームの時間を持て余しているからか、先生はすぐさま、プリントの裏にあみだくじを作り、黒板に数字が書かれた四角い図形をクラスの人数分書いていった。先生の合図でみんなが教卓に群がり、くじ引き用紙に名前を書いていく。我がクラスのあみだくじによる、いつもの「席替え」の手順だ。僕はみんながくじを引き終わる頃を見計らって、教卓に行き、余っていた箇所に自分の名前を書いた。

 先生の戦略は思いの外うまくいった。席を移動した直後は「席替え」の結果に、盛り上がった生徒たちだったが、席替え前のグループが分散されることで、ほんの数分で教室のボルテージは少し引き潮になった。その瞬間を見逃さなかった先生は、話しはじめ、ようやくホームルームがはじまった。
 僕は教室の真ん中の一番後ろの席になった。もちろん仲の良い人はいないから、話す人もいない。先生の話し声が教室に響く。僕は急に虚しくなった。ああ、こんなもんか、学校生活って。想像していたものと全然違ったな。‥早く帰ってゲームしたいな、と虚無感にとらわれていた。

 その時だった。視界にパッと大きな紙が現れた。

 先生が用意したプリントが前の席から回ってきたのだ。僕はプリントに指を添え、前の席の人の手から引き抜こうとした。しかし、思いの外、前の席の人の力が強くて、プリントが取れない。僕は再び、プリントが破れない程度に力を込めて、グッとプリントを引く。それでも、プリントを取ることができなかった。前の席の人が、僕にプリントを取られまいと、先程よりも、ギュッと手に力を込めたからだ。

 えっ?えっ?

 僕は狼狽えながら、周りの人を確認する。もしかしたら、周りのクラスメイトたちにからかわれているのではないか?と思ったからだ。しかし、もちろん、みんなは僕のことなんて見向きもしていない。

 えっ?えっ?何?

 「早く引いてよ」と前の席の女の子が、顔を半分だけ僕に向けて、言う。僕は、さらに焦ってプリントを引くが、女の子は、プリントを取られまいと、さらに手に力を入れていた。

 えっ?何これ?

 僕が当惑を極める中、前の席の女の子はいたずらっぽく笑って振り返った。
 「早く取ってよ?」
 「ぁっ、うん」と僕は恐る恐るプリントを引く。すると、プリントがあっさり取れた。
 僕の狼狽えぶりが可笑しかったのか、女の子は「ふふっ」と笑った。
 「はじめて喋るね?」
 「あっ、うん」
 「どこから来たの?」
 「えっと、藤吉‥」
 「フジヨシ?私中学の時、試合で行ったことある!すごい田舎のところでしょ?」
 「うん。周り、何もないかな」
 この学校に来てこれほど会話が続いたのははじめてだった。しかも、今、自分は、女の子と喋っている!僕はどこを見ていいか分からず、こちらに振り向いた彼女の首筋を見ながら話していた。
 「じゃあ”フジヨシ”君、通学大変だったんだね。明日から夏休み、ラッキーじゃん?」
 「うん‥そうだね」と曖昧に返事をする。身体の内側から、ぽこっと、熱が浮き上がる。七月の湿気と混じり合って、アツくなる。彼女は僕のことを、どういうわけか、地元の町の名前で呼んだ。少しおかしなコミュニケーションを取ってくる女の子だな、と思ったが、嬉しい気持ちが勝ってしまった。あだ名を付けられるなんて、小学生以来だ。
 この人となら、仲良くなれるかもしれない。何か話さなきゃ‥でも何を?

 「あの‥「はーい!あと少しだから静かにしてくださーい!」

 いつの間にか、また騒がしくなりはじめていた教室だったが、すかさず先生が空気を締める。僕の声は、先生の大きな声にかき消されてしまった。しかも、こういう時に限って、教室は静かになる。みんなは、騒ぎ続けることで時間を長引かせるよりも、さっさとホームルームを終わらせた方が得だと考えたのだろう。それなら大人しくしてようと。本当にこのクラスは「間」が悪い。先程まで周りの人と話し合っていたクラスメイトが身体ごと先生の方へ向き直っていく。
 目の前の彼女は、僕の言葉を待つように、首を少し傾げた。
 もう少しだけ‥あと少しで‥。頭の中で言葉を探す。自分は今、どんな表情をしているんだろう?
 しかし、さすがに時間切れだった。彼女はバツが悪そうに微笑むと、他のクラスメイトと同じように、先生の方へ向き直った。
 その瞬間、ショートカットから覗くうなじに目がいってしまう。彼女のうなじに生えている産毛が、ふわっと揺れた。
 僕は、身体の熱が、顔の真ん中にぎゅーっと集まっていくのを感じた。

 「最悪だ」と思った。高校生になってはじめての一学期が、今日終わってしまう。

 本当に、最悪だ。夏休み前に、恋に落ちてしまうなんて。



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