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✍️リモートワークにおける視覚化について

書くということ、描くということ。それは、日記を細々と書きはじめた小学生の頃から、自分自身とつながり、関わりあうための行為でした。

ペンを走らせるのは、片手に収まるほどのメモ帳、スケッチブック、いつしか模造紙へと変わっていき、グラフィックレコーダーと呼ばれる役割になり、気づけば大学院での研究テーマにもなっていました。

最近のリモートワークでの試行錯誤を踏まえて、今回は、自分がこれまで仕事や研究、生活のなかでおこなってきた「視覚化」について、考えたことをかたちにしておこうと思います。

グラフィックレコーディングの身体性

グラフィックレコーディングをはじめる前から、私は「視覚化」という行為を続けてきました。手帳にその日の気分を天気のマークで記録していたところからはじまり、文章やイラストや模様と、描くものも増えていきました。

誰かに見せるわけでもなく、淡々とペンを走らせてきた紙の上は、自分ひとりだけの部屋でありながら、同時に日記という話し相手とやりとりをする待ち合わせ場所であり、思い起こされる出来事と出会い直す空間でもありました。

グラフィックレコーディングは、その日々の視覚化のなかでたどり着いたものです。

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大学院では、グラフィックレコーディングという手法への問題意識から出発して、最終的に視覚化をする自分の経験へとテーマが移っていきました。そこで採用したアプローチが、「一人称研究」でした。

一人称研究とは、簡単に言うと、自分自身の実践を対象としたフィールドワークのようなものです。

私は自らの視覚化に関わる経験をひたすら記述して分析するという方法をとったのですが、それは自分の身体の重要性に気がついていく過程でもありました。

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グラフィックレコーディングは議論と同時並行で進めるので、考えるよりも先に身体が描いている感覚があります。

描いているとき、自分の身体はフィルターのようなもので、身体に通して残ったキーワードと、そこから浮かんだイメージを写し出します。その場に身を任せ、感じたことを丁寧にすくいあげる感覚です。

そのうち、グラフィックレコーダーはコミュニケーションの「媒介者」だと感じるようになりました。媒介者とは、場を俯瞰して記録する役割だけでなく、参加者と同じように議論を構成するひとりでもあるのです。

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リモートワークのはじまり

今は大学院を修了して、OVERKASTという会社で働いています。

業務でも引き続き視覚化をおこなっており、打ち合わせの記録や資料のビジュアル、アイディエーションのときのメモ、レクチャーやトークイベントをコンテンツとしてアーカイブする手段として活用してもらっています。社外からは、主にワークショップやカンファレンスの記録の依頼をいただいています。

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こうしたすべての視覚化の業務は、オンラインで共有しながらおこなっています。入社とともにリモートワークがはじまったからです。

業務のオンライン化によって、われわれのコミュニケーションのインターフェースは液晶画面へと変化しました。インターフェースが変わるということは、世界とのかかわり方が変わるということなので、われわれの知覚や行動も影響を受けます。

リモートワークで最初に感じた変化は、対面で当たり前にできていた非言語コミュニケーションの難しさでした。

画面越しの相手からは表情や身体的な反応を読み取ることができず、ことばだけで伝えたいことを適切に共有することができません。その状態でファシリテーションするのは、かなりのエネルギーを消耗してしまいます。

そんななかで試行錯誤しながら、リモートワークにおける視覚化の役割がだんだんわかってきました。

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リアルタイムでイメージを共有すること

オンラインでのコミュニケーションは、意味を適切に伝えようと合理的になりがちです。そうすると、ただでさえ共有しにくい抽象的な話は、ますます共有しづらくなっていきます。そこにグラフィックレコーディングを導入すると、ことばでは足りないニュアンスをイメージで補うことができるのです。

オンラインミーティングでは、参加者全員がグラフィックレコードを見ながら議論することがありました。

通常のビデオ通話では相手の顔を見ることになりますが、われわれは普段からそれほど相手の顔を見ながら話しているわけではありません。むしろ常に見られているという意識によって、疲れてしまうこともありそうです。

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グラフィックレコードが見られる対象になると、オンラインミーティングでの議論に集中してもらえるようになりました。

それはグラフィックレコードが目線のやり場になるだけでなく、参加者自身が見られる対象ではなくなったことを感じているからかもしれません。リアルタイムでイメージを共有すると、そのイメージが視線のやり場になるのです。

オンラインではオフラインのときよりも、グラフィックレコードが議論のたたき台になりやすいようです。

その場でグラフィックレコードにフィードバックをして精査したり、それを足がかりに新しい議論が展開できるようになりました。これはリアルの場の隅っこでおこなわれるグラフィックレコーディングでは、あまりなかったやりとりだと思います。

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視覚化の本質と変化

リモートワークにおける視覚化では、視覚化が議論の場から影響を受け、同時に場に影響を与えているのを、いつも以上に強く感じることができました。逆に、今までのリアルな場では、議論とグラフィックレコーディングが分断しがちだったのかもしれません。

そして、議論とグラフィックレコーディングがリアルタイムで関係しながら変化していく感覚は、幼い頃からメモを描いていた経験にも、一人称研究をしていて自らの視覚化に影響される自分を感じたときにも似ているような気がしました。

小さい頃にメモを描いているとき、私はひとりでしたが、いつも誰かといるような感覚がありました。スケッチブックはなんでも素直に話せる友人のようなものでした。

私は描く行為を通じて、自分が考えに初めて納得したり、深めたり、新しく気づいたりしていたのだと思います。一人称研究の観点で見ると、視覚化は自分という他者と関わる行為なのでしょう。

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入社初日からはじまったリモートワークには戸惑いがありましたが、オンラインでグラフィックレコーディングすることは、いろんな人のコミュニケーションを助ける手段にも、また自分なりの表現方法にもなりました。今後さらに活用の可能性を模索する機会も与えてもらっています。

この先も視覚化の実践を続けていきますので、もしみなさんのサポートができそうな場面があれば、気軽にお声がけください。

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