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書き換えられる記憶

三人兄弟の末っ子だったボクは小学生の頃、近所のガキ大将だった4つ上の兄貴によくまとわりついていた。

陽がどっぷり暮れるまで近所の空き地で野球をやって、兄貴の自転車の後ろに乗せてもらって帰る。

ペダルを漕ぎながら「寒くないか?」「野球うまなったなー」と、愛くるしい弟(ボク)を気遣ってくれる優しい兄貴だった。

みんなと一緒にいる時は、弟をひいきするわけにはいかないのか「ヘタクソ!」とか「帰れ!」とかツレない感じで腹も立つんだけど、帰り道の自転車での優しさに、愛くるしかったボクはご機嫌になった。

我が家の3人の息子が小さい頃、兄弟喧嘩をおっ始めたりすると、兄弟は仲良くしろってことで「2人乗り自転車」のエピソードをよく聴かしてやった。「へー、そんなもんでっか」みたいな顔して聞いてたから、どこまで効果があったかは分からないけど。

今年の正月、久しぶりに親類縁者が一同集まる機会があり、よせばいいのに息子たちが兄貴に昔話を聞き始めた。聞かれた兄貴も、遠い目をしながら愛くるしかった弟とのエピソードを懐かしく話し出す…かと思いきや、「そうそう、こいつ怒らしたらハサミ持って追いかけてきよるからな!」「いつも機嫌とってたんや」って。んっ?ハサミ?何のこと?機嫌とる?愛くるしいからじゃなくて?

「ちょっとでも気に入らんことあるとすぐハサミ。ホンマに難儀したわ」と姉貴まで参戦する。えっ?ご両人何かの記憶違いじゃあ…と言いかけた時、「見て見てここここ、あんたらのお父さん(ボク?)に刺されてんよ、エゲツないわー」と動かぬ証拠を見せつける。「ああそれな、母ちゃんはキズ残れへんから心配いらん言うてたけど結構残ってるなー」と兄貴が追い討ちをかける。

動かぬ証拠に目撃者の証言。息子どもの冷ややかな白目がボクに突き刺ささる。ヤッパリコノオヤジハヤバイヤツヤッタンヤ…。


と、このように

最新のDNA研究を持ち出すまでもなく、人間の記憶というのは非常に曖昧かついい加減なもので、自分の都合のいいようにいくらでも改ざんされ塗り替えられていくものなのである。

「パンチボウル事件」という有名な心理実験があって、「あなたは小さい頃、結婚式でパンチボウルをひっくり返して大変だったのよ」というウソのエピソードを3回聞かせると、3人に1人は偽りのをエピソードを、実際にあった事実として映像つきで記憶するのだという。

というわけでボクは、何らかの影響で、兄姉から恐れられていた凶暴なガキンチョという事実を、いつのまにか、兄姉から可愛がられていた愛くるしい弟という偽りの記憶を作り出したようだ。さすがとしかいいようがない。

開き直るわけではないが、それは決して悪いことではない。断じてない。
記憶がテキトーに自分に都合のいいように美しい記憶へと変換され、クヨクヨしたり悔恨の念にとらわれたりすることなく、変換された記憶をベースに前向きにポジティブに生きていけるなんて、ハッピーで素晴らしいことじゃありませんか。この塗り替えのスキルを思いのまま操れるようになれば人生は幸せの連続となるわけだ。

息子達から「こんな風に聞かされてた」という苦情をひと通り聞いた兄貴は呟いた。
「なんちゅう幸せなヤツや…」(おしまい)

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