古見さんの「友達になってください」という言葉を理解できていない
今回のかきあつめのテーマは「# 友達」だ。
ちょうど先日、漫画『古見さんは、コミュ症です。』を読んで思ったことがあったので書き記しておくことにした。忘備録である。
なので、議論をするわけでも、考察を深めるわけでも、コレといったオチもない。古見さんを2巻まで読んだ30代おっさんの感想文程度に呼んでってもらいたい。
※以降、ポジティブなことをほぼ書いていないので、本作品が好きで、気分を害したくない人は引き返すことを勧めます。
漫画『古見さんは、コミュ症です。』とは
漫画『古見さんは、コミュ症です。』については下記の通り。
現在(2022年1月)で24巻まで出ていて、アニメ化もしている少年サンデーのヒット作である。僕は2巻まで読んだところで、下記コメントをしていこうと思う。
思ったこと
まず、僕にはハマっていない
同じ年の友人から薦められて読んだのだが、なんというか、ハマらなかった。つまらなかったというか、「別にどうでもいいかな」と思ったのが第一印象である。
一巻の帯に「この漫画を”人付き合い”でたまに胸が絞めつけられる、全ての人に捧ぐ。」とあったのだが、もしかしたらその通りなのかもしれない。
僕は明朗快活な性格で、これまでコミュニケーションで困ったことは正直ない。そんな人間が読んだから、ピンとこなかったのだろう。
まぁほかにも思ったことはあるので、挙げてみることにした。
容姿で人を評価する思想が好きでない
本作では、古見さんはコミュ症だが容姿端麗でマドンナとしての扱いがされており、彼女が会話できないところから勘違いが起こり、コメディとしてストーリーが進む。
漫画の設定にこんなことを言っても仕方がないが、僕は「容姿で人を評価する思想」が好きでなく、古見さんの世界の住人が好きでない。
そして、おそらく僕は古見さんに惚れることはない。なんだか興味がもてないというのが正直なところだった。
「友達になってください」という日本語にピンときていない
漫画のなかで、コミュ症の古見さんが友達を100人作ることを目標とする内容がある。友達がこれまでできなかった古見さんが前に進もうという表現であり、本作品のテーマが決まる場面だ。個人的にココはまぁ気にならなかったが、そのあとの「友達になってください」という日本語には違和感を覚えた。
この「友達になってください」というセリフは、ある人物に対して只野くんが古見さんに言うように促すところで出てきたのだが、「別にそんなこと言わなくてもよくね?」と思うのだ。
なんだろう、友達ってそういうものなのか? そもそも友達とは対等な関係であり、むしろこれを言った瞬間にその相手とは友達になりえないものだと感じないだろうか。
このセリフがテーマとして当たり前に出てくる本作は、やはりいまいちピンとこないのである。
古見さんは特に優しい漫画でもない
一般の世界でも、古見さんように「家の中では普通に会話できるが、外に出るとまったく話せなくなる」という人がいる。そのような状態のことを場面緘黙(かんもく)というらしい。作者や本文でも明言されていないが、もしかしたら古見さんも場面緘黙かもしれない。
もし古見さんが場面緘黙だとしたとき、本作品の世界は決して優しくないなと感じた。なぜこの状態を揶揄するような表現をするのか。適切な対応は、友達になってあげるでなくて、友達としてただ寄り添うことだけなのではないだろうか。そう感じたのである。
まぁ、とはいっても、本作品は場面緘黙をテーマとした漫画でないし、コメディである。いろいろコメントしても、筋違いなのだがね。
【一応、オチ】まぁ、べつにいい
まぁそんなこんなで、思ったことをツラツラ書いてみたが、結論は「まぁ、そんなことすらどうだっていいよなー」である。漫画だし、コメディだし、まず僕のことは対象にしていないし、550万部とバカ売れしてるし、だ。
なんだろうな。どの性別のどの世代を対象としているのかもイマイチわかっていないが、「30代のおっさんが学園モノの漫画を見てても仕方がねぁな」と感じたのだ。かきあつめのテーマとして書けたのが、まぁ良かった点と言えよう。
とまぁ、ここまで書いて読み返してみると、ほんと酷評しか書いていなかった。はっはっは。まぁいいかな。
そんな感じで、以上。
記事:アカ ヨシロウ
編集:彩音
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