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「あの子は貴族」と言う側だった

電車で東京から実家へ戻る車窓の景色が段々と変わってくのが好きです。

コンクリートジャングルにそびえる高層ビルが、だるま落としされたかのごとく段々と小さくなって、少しずつ緑が隙間を縫って侵食していくんですよ。

実家の最寄りに着いた頃には東京のとの字もありません。けれども、生まれ育った土地はどんなに離れていても居心地が良いものなんですよね。

そう思うとわたしは東京の人間じゃないことを痛感しますし、東京に何年も住んでいても消えない【余所者感】をハッキリと突きつけてきたのが『あの子は貴族』でした。


東京で生まれ育った華子と地方から上京して暮らす美紀という、生まれも育ちも違う2人の女性が出会って、向き合って、自分の道へ歩んでいく作品。

Twitterでこの作品の映画化に際して公開されたネットコラムがきっかけでした。「そんなことある…?」と興味をそそられたんです。

それから原作へ手を出して以後、定期的に読み返してる作品の一つでもあります。

めちゃくちゃ驚いたんですよ。
“都会で生まれ育つ”“地方で生まれ育つ”にここまで別次元の話だったことを。どんなに上京して時が経とうと次元が違うのだからいつまで経っても【余所者】であることを。

そして、読み進めていくと“都会”と“地方”は別次元ではあるけれども、余所者を簡単には輪に入れない強固感は表裏一体だってことを分からせたのもこの作品でありました。

初めて最後のページまで読んだ後の愕然とした感じ、感情がごちゃごちゃでしたね。

そして先月ようやっと映画を観たんですが、原作よりも別次元であると映像で突きつけられた感じがえげつなかったです。

みるからにお嬢様な華子が当たり前のようにタクシーで移動する煌びやかな高層ビル群。

単線で改札も1個。
改造しまくったブランド車で迎えにきてた地元にいる弟と田んぼ道を車走らせる風景。

原作を読んでる最中は、実家近辺といまいる東京の風景を思い浮かべてきましたが、映像として映画として見ると比べるまでもなく別次元であることを語らずとも分からせてくスタイルなんですよね。

それとスパンとナイフのごとく刺さったのは、華子と美紀が初めて顔を合わせたホテルラウンジのところです。

2人の共通点は、2つ。華子の友人であり、たまたま美紀が青木幸一郎といったパーティで知り合った相良逸子。そして、青木幸一郎という華子の婚約者であり、美紀にとってズルズルの腐れ縁の1人の男性。

いろんなタイミング、縁が重ならなければ2人は出会うことなかったし、私に「こうも違うんか」を分からせたんです。

ホテルラウンジでフォークを拾おうとする美紀と当たり前のように拾ってもらうようにスタッフを呼ぶ華子。華子と同じ環境で育った相良逸子と華子が三井のお雛様展のチケットがどうのこうのと話してるのに輪に入れない美紀。

慣れない・知らない美紀とここが当たり前のような居場所としてる相良逸子と華子。この構図にピシッと線を引かれたような感じだったんです。


私たち上京組が、高校を卒業してこれから思う存分東京を楽しむぞと意気込んでる間に、東京で生まれ育った組にとっては当たり前のただの日常なんですよ。

思わず美紀に感情移入してしまうのは、私も東京にとって【余所者】なんだなと思ったんです。「あの子は貴族」と言う側だったんですよ。

まあ、どちらが良い/悪いをハッキリ言いたいわけではなくて、表裏一体な部分もやはり見えてくるんです。

別次元に入る敷居の高さは互いにありますが、そこを出ていく難しさはまたそれぞれ事情もあります。

長期休暇になるにつれて、東京から実家に帰る道中は定期的にこの作品を思い出すし、なんならその度に読み返してるように思えます。

この生き方が当たり前のように思えていた事が実は違っていたという新たな気づきを得て、わたしはこれからも都会と地方を行ったり来たりしてるんです。

どっちつかずな生き方が性にあってるんだなと教えてくれたのもこの作品でした。


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