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ソーシャル団欒

ネットが発達することで、個々が別々の情報をキャッチして、
今まで以上に趣向や趣味が細分化する、バラけると漠然と思っていた。
バラけているには、バラけているのだが、
どうも思っていた以上にはバラけていないように見える。

SNSや、ネット上のニュースのトレンドを見てみると、
テレビや、有名な新聞、雑誌とリンクしている情報は未だに多い。

大多数の人が意識していないところから
たくさんの意外性のある情報が噴出していくような
イメージを持っていたが、どうもそうでないらしい。

確かに考えてみれば、情報のやり取りをしたり、
何かツールを使ってコミュニケーションをとるには、
ある程度、お互いが話して伝わるための共通の話題、
共通の情報を介在させないといけない。

共通化されていないディープな情報を浸透させようと思ったら、
それを認識していない人でも見やすいように編集し、
整理して情報を発信しないといけない。
何か専門や、仕事を持ちながら、
片手間にそれをやるのには手間がかかるし、面倒だ。

簡単に共通化できて、発信、受信のしやすい情報は、
情報発信している範囲や規模の大きいテレビであったり、雑誌なのだろう。

認知度が高く、ハイコンテクストで、
前提や背景の解説を必要としない方が
時間をかけずにネタにしやすい。

ネットが発達したことで、様々なコンテンツが生み出され、細分化されて、
家庭内の範囲の「一家団欒」はなくなったが、
細分化も、細分化できる閾値にきてしまい、細分化の飽和状態になり
SNS上で「同タイミングに同コンテンツを見ている」ということでの
「ソーシャル団欒」のような共有化の現象が起きているのかもしれない。

情報を分類、整理する言葉として、「キュレーション」という言葉があるが、
情報を取捨選択したり、情報をある程度、系統的に追って、
情報を精読し、整理するのには、労力や、訓練が必要だ。

これからの時代、
そういうアプローチができた方がいいというのはそうなのだろうが、
「情報の取捨選択の度合いはそこそこでいい」という考えの人にとっては、
面倒くさいことだろう。

コンテンツをたくさん作ったとしても、
情報を受信する側の人間の受信できる量には限界があるわけで、
バラけるのにも限界がある。

そのバラけ具合がどの程度までいくかは今はよく分からない。

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