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整う前に飽きがくる

テレビ、雑誌がメディアの主流だった時代では、
情報がもう少し整理され、時間差があって伝達されたものが
ネットの時代では、速報としてかなり早い段階に人の目に入る。

面倒くさいと思っていても、目に入ってしまうと、
「こう考えるのがベターなのではないか」ぐらいのことは考えてしまう。
自然と分析、推測してしまう。

目に入ってこなかったものが目に入るようになり、
今まで考えようとしなかったことを考えるようになっている。
「考えたくなくても考えさせられてる」と言ってもよいかもしれない。

ネットがなかった時代の時の雰囲気や
日常のテンポを思い出すのはもう難しい。
たぶん目に入って来るトピックの数は物凄い増えてるし、
それについて考える、思考に使っている労力も増えたと思う。

そうすると話題になり、言及回数の多い事象は、
それだけ読まないといけない、
解析しないといけないテキスト数が増えるわけで、
体力や時間に余力がなければ、ついていけないし、
実際、ついていけなくて、辟易し、疲れてしまうということが
起きやすくなっているのではないだろうか。

相当、意識的に情報の受信を閉じるようなことをしなければ、
情報が目に入ると自然と分析してしまうところがあるので、
情報の摂取に時間と体力を持っていかれてしまう

飽きるスピード、食傷気味になるスピードが速くなっている。

ネガティブなものはよりネガティブになり、
ポジティブなものはよりポジティブになる

それなりに適正で、正確な情報でも、
「飽き」の方が先に生じてしまい、届くはずのものが上手く届かない。
SNSなどで、自分では1回つぶやいた、出力したという感覚でも
それがそれなりに共有され、拡散された場合、勝手に数が増え、
受け取る側は「もう何回も見たよ」という気分になる。

「炎上」や「バズる」という現象もコメント数、言及回数が多いのは分かるが、
そこにかかわっている人間が熱狂しているかというとよく分からない。

自分の側にどんなことを掘り下げたいか、
どんなことが気になっているかの基準や、
度量衡を作らないと、無制限になってしまい、収拾がつかない。

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